生活

どうしようも無い生活を送っている。それはそれはもはやどうしようも無い生活である。


以前僕は、生活とはまるで積み木を積み上げていくように、なんて地味で退屈で、とてつもなく不安定な作業なんだ、と思った事がある。
こんな事が僕なんかにできるもんかと、積み上げては崩し、積み上げては崩し、積み上げては崩し、積み上げては崩し、永遠にその繰り返しである。
気が付けばその繰り返しの作業に何かを見出している自分に気付く。それは繰り返す事の意味なのか、積み上げる技術が少しずつ上達してきたという感慨なのか、何なのかはっきりとは分からないけれども、少なくとももはや退屈では無い。いつのまにか、そこに何か楽しさや美しさのようなものを見出している自分がいたのだった。


そして僕は今、積み木が崩れてしまう事を何よりも恐れている。
その恐怖心は何かに似ている、例えば書道で字を書いている時、あと一文字で完成で次失敗したら台無しだという時、あるいは弾き語りで、サビ前で次の歌詞間違えたら興醒めになってしまう、そんな時に感じる恐怖心と似ている。
「生活」とかけ離れた「書」や「歌」の中にも生活の要素はあるのだ。それほどまでに生活というものの本質は広く大きい。
書の中に生活があり、歌の中に生活があり、芸術の中に生活があり、創作の中にこそ生活がある。
なるほど、そうか。
生活とは哲学なのだ。


ならば、やっていける。
何度だってやってやる。