震災で何が不謹慎で何をすべきなのか問題

命より大切なものがある、と言って争いが起こり。
命より大切なものは無い、と言って争いが収まる。


うろぼえだけど、銀河英雄伝説ヤン・ウェンリーがたしかそのような事を言ってた。
これはどちらが正解とかでは無く、人間というのはその時の状況や気分によって、180度行動が変わってしまう、という事を言ってるんだと思う。


では、果たして、今回の震災について、
自分や家族の生活を犠牲にしてまで、誰かを救うべきか、
自分や家族の生活が安全なら、誰かを救わなくても良いのか。


これも同じく正解は無いのだと思う。
この二項対立した問題は、お互いが「そうするべき」という自分自身の規範のようなものを信じきってしまっている事だと思う。お互いにその規範を押し付け合い、争いが起こり、最終的に、「一体何人の命が犠牲になっていると思っているんだ?」あるいは「私や家族が死んでも良いのか?」と誰かが言い出す。
「命」という題目が挙げられる。「命より大切なもの」が「ある」か「ない」か、という所まで行き着く。


でも、本当の問題はそんな所には無い、人間というのはその時の状況や気分によって、180度行動が変わってしまうのだから。
問題は、お互いが、相手の意見を全く聞こうとしないで、自分の規範めいた信念を湧き上がる圧力のまま相手にぶつけてしまう事だ。
実はそれをぶつけている本人が、その規範めいた信念を信じきれていないのにだ、いや、信じきれていないからこそ、相手にぶつけてしまう。信じきってしまっている人は、ただ黙って自分の信じる行動を取っている、誰にも押し付けたりしない。


迷える僕らは、まず冷静になって、相手に意見をぶつける前に、よく考えて、そして話し合えば良い。この問題に一般論的な正解は無いのだ。それでも、もし、正解だと思える事があるなら、それはきっと個人的な理由に基づくはずだ。だから、それを信じたいなら、ただ黙って行動にうつせば良いんだと思う。そこでまた対立が起こったら、また冷静になって話し合う、その繰り返し。
難しい事だけれども、この問題ってそれこそ近代における人類のテーマなんじゃないか、とすら思える。