人間関係とは何なのか

虚しいぐらいに何も伝わらない、お互いに何も。
唯一敵意だけが、拒絶反応のように単純に、パッと色が変わるかのように現れる。
もはや人間としての尊厳をお互いに失っている、その場に居ることで、私の人間性が踏みにじられていく。
では人と人の関わり合いとは一体何なのか、お互いに歩みよるために人間は他者と関わろうとするのではないのか?
そうか、歩みよりたくないのだ、関わりたくないのだ、否定し、拒絶したいのだ、それはまるで私と同じではないか。
私の行き着く未来の姿、歩みよりを避け、関わりを避け、否定し、拒絶した、その末路、敵意と不幸をまき散らした姿。
なんと憐れな。
なんと醜い。
救いようがない。
しかし、社会は、この国は、この世界は、そのような人で溢れている。
どこに行っても見ることができる。
家族や身内の中にも、ご近所の隣人、電車の向かいの席、会社の上司、趣味の仲間、ネットの知り合い、自分自身、どこにだっている。
どうすれば良いというのだ。
私はただあなたと仲良くなりたいだけなのに。
どうしてそれができないのだろう。
私がそれを望んでいないからなのか、あなたがそれを望んでいないからなのか。
お互いにその責任を押し付けあっている。
ゴリゴリと押し付け合い、隙あらばのしかかろうと企んでいる。
子泣きじじい!」
「俺にのしかかって来んじゃねえ! この、子泣きじじいめ!」


もう分かった、もう何もかも私が悪いという事にしよう。
責任を押し付けたければ押し付ければ良い、のしかかってもくれば良い。
私はそれを避けてかわすスピードを身につけよう、それを受け止めうるタフさを身につけよう。
敵意を向けられてもそれに動じず、拒絶されてもそれを許容できる、そういう精神を育もう。
論理でも感情でもなく、ただそこにある傲慢さという悪を許そう。
人間の醜悪な闇の部分を認めてやろう。


その代わり、光を、この世界に光を。
平穏を、愛を、安寧を、慈しみを、いつかその価値の偉大さに気付けるのではないだろうか。