心の機微アニメがもっと見たい

今期アニメのとらドラ!
「自分で自分を天然だと言う人間にまともな奴はいない」という台詞が出てくる。それは天然を装っているだけで、すべて本人の計算によるものだ、というような文脈で語られている。
この台詞はある意味アニメキャラクターの破壊である。
何故ならすべてのアニメキャラクターは作者の計算によって作られているからである。
そもそもこの台詞を言っている、このアニメのヒロインこそツンデレの権化の様なキャラである、「じゃあお前のそのツンデレは計算では無いのか」と問われた瞬間おそらくこのヒロインの存在は崩壊してしまう、いやこの物語の世界そのものが崩壊してしまう。それほどまでに危うい、恐ろしいまでにギリギリのところを攻めている台詞だと言える。
しかもこの「天然or計算」問題はすぐに終わらない、その後の物語の中でもけっこう深く掘り下げようとする、人間は誰しも素のままではいられない、作った人格で生きていかねばならない、というような事まで語る。
そもそも、この物語は人の「心の機微」をとても敏感に描こうとしている、人対人における関係性の中で、リアルに登場人物の思考をトレースしている。
これは萌え系に分類される作品の中では珍しいのかもしれない。まず間違いなくハーレムアニメでは有り得ないだろう。
あと、「ヒャッコ」とか「みなみけ」みたいなコメディ作品にも皆無な要素だと思う。
最近だと「狼と香辛料」が一番「心の機微」を描こうとしてるんだけど、原作の小説とアニメ版ではそこが一番違う、小説の方が何倍も心の動きを敏感に捉えようとしている、あとアニメ版の悪いとこは、服とか街とかがさっぱりした雰囲気なところ、原作の世界観はもっと厳しくて暗くて汚い世界だと感じる。
とらドラ!」も原作は小説だから、本来文章の方がそういうのが向いているのかもしれない。とらドラの場合、アニメになって良くなったのは、ヒロインの目の大きさと動き、実際に見るとこれは文章では表わせられない説得力がある。