水伝よりクオリアに興味がある

人間の精神は本当に不思議だ。何でも無いものに影響を受けたりするところが凄い。
例えば、言葉である。
言葉なんて、本当に何でも無い、ただの記号であるのにもかかわらず、何故こんなにも人間の心に影響を及ぼすのか。
しかもその影響は無意識の範囲にも、むしろ無意識の方にこそ深く大きな影響を与えたりもする。


「水」が言葉に影響される、いやそんな訳無い、ていう話が今アツイみたいだが、そんな事よりも人間は間違い無く言葉に影響される、っていうこの事実の方が僕にはびっくりである。
つまるところ、人間もただの物質にすぎない。だのに、なぜ言葉などという非物質の影響を受けてしまうのか、げに恐ろしきは、人間の精神が仲介する事でそれをたらしめているという仕組みである。
非物質と物質との変換こそが人間の精神の大いなる謎だと言える。


この日記は僕の頭の中の非物質を、このように物質世界のパーソコンとイーンタネットで認識できるぐらいには、物質として具現化されている訳である。
そんでもって、それ自体がマジで超不思議で興味深い、つまり僕の頭の中の非物質を、訳の分からないエキゾチックマニューバ(仮に)的な作用で、物質として出力し具現化するそれこそが芸術だと僕は思っている。


ではこの日記、読む人が居なくても良いのか? という疑問が生まれるが、それは僕がこの世に生を受けてから、いや受ける前から、人類にとっての命題である。
今の所の答えとしては、人類総芸術家もしくは芸術化の途中であるとする。そして芸術の目指すところは非物質と物質の融合である。つまり人類の目的がそれである。


でも科学的に見れば、芸術って人間の精神が生み出した幻想だよね。なぜこんなにも芸術に惹かれるかというとそれは脳のソフトウェアの仕様を利用したバグでしかない。
だとすると人間の精神とは結局脳の生み出した幻想でしか無くなる訳だが、では何故言葉のような非物質に影響を受けてしまうのかという謎が残る。
毎日冷蔵庫のペットボトルの水に「腐れ」と語りかけてもすぐに腐ってしまうなんて事は無いだろうけど、人間に毎日「死ね」と語りかけたら、その人が本当に自殺しちゃう事はありえてしまう。いや、ほんとそれって超凄い、不思議すぎるんだけど。