音楽から始まって思った事を長めに

凛として時雨 DISCO FLIGHT
http://jp.youtube.com/watch?v=1a6ezWELuEk
凛として時雨 - Sadistic Summer
http://jp.youtube.com/watch?v=SyMFSOpG7zc

根底に90年代邦楽、ヴィジュアル系メタル(初期ルナシーとかか)あとビーイング系とかも足した感じ。さらに上層部にナンバーガールとかロッキンジャパン的なのを足してぐちゃくちゃに混ぜて、調和してない感じ、調和というか衝突w
○○系とかナンセンスなんだけど、このバンドは最初聞いた時衝撃的なので、分析せざるをえない、分類不可能だけどあえてするならという。いや音楽とか素人なんで分からないんだけども、単純に邦楽すげえ、ていう。こんなバンドが出てくるなんて90年代当時の僕は、いや誰も予想してなかっただろうし、つーかこんなバンド今まで見たこと無い。好き。



髭(HiGE)ロックンロールと五人の囚人
http://jp.youtube.com/watch?v=6lDy_3xo4dc
髭(HiGE) 「Electric」
http://jp.youtube.com/watch?v=OBCJpKxGjTc

日本語ロックもここまで来たかという。誰もが夢見た日本語とロックの完全融合を果たしたんじゃないかと。ボーカルの人が「たま」に影響受けたって言ってて、なるほどと、日本語ロックに足らなかった成分は「たま」だったかと。日本語ロックのなんたるかを分かってらっしゃる。
聞いててめちゃめちゃ気持ち良い。いちいち僕の好きな感じにドンピシャで、特にElectricていう曲は超気に入ってる。つかこのバンド売れるねw



今バンドでマキシマムザホルモンがセールス的にも内容的にも無敵(勢い的に)だと思うんだけど。多分次のアルバムで隆盛を極めるんじゃないかと。それと平行してまた新しい良いバンドが出てきてるこの邦楽バンド界がすげえなと単純に思う。


そういう意味で邦楽HIPHOPはなんだろ、いや個人的には好きだけども、これぞ! というのは無いね。個人的にはネット発のラッパーに期待してる。らっぷびとは別名義の時から聞いてたんだけど、他にも凄いラッパーは居てるし、しかも全然違うフローでメジャーの人よりも個性的だったりする。


あと以前好きだと書いた、スパルタローカルズはドラム脱退後の曲があんま良くないのがすごい不安。B-DASHに関しては先が見えないぐらい全てが不安w 僕の人生と同じぐらいw


それから、マーティ・フリードマンとかモンキーマジックとか、あのへんの外人の人は何なの?
考えた。
この前「ソフィーの世界」ていう哲学史の本読んだんだけど、インド・ヨーロッパ語族は「見る」文化、セム語族は「聞く」文化、だと書いてあって。
このセム語族というのはユダヤ人の事で、言わば「ユダヤ教」や「キリスト教」なんかにもこの「聞く」文化は影響を与えてるとの事。
つまりヨーロッパは元々「見る」文化だったんだけど、キリスト教によって「聞く」文化に変わって(中世)、ルネッサンスで再びローマ時代のヘレニズム文化のような「見る」と「聞く」を融合した文化を得たと、その本では書いてあった。
で、日本について考えてみると、「見る」文化しか無い。「聞く」のはあんまり重要じゃない文化のまま今に至るじゃないかなと。目は口ほどに物を言うとか、見て覚えるとか、阿吽の呼吸とか。
グーグルのストリートビューで、日本人だけが強い抵抗を感じているという記事が、日本でも海外でもネットの話題になった。日本は見る、見られる事にすごい敏感な文化だから。


じゃあ「聞く」文化って何だろう。と僕は本読んでからずっと疑問に思ってて。これは実際に海外に言って実感しないと分からないのかもしれないけども。
例えば「都市の声を聞く」という表現について、日本語訳されたアメリカ人の文章をネットで見たんだけど(URLと人名は失念)、ほぼ「雰囲気」とか「空気を読む」と同じ意味で「都市の声を聞く」という表現を使っていた。ベンチャー企業が集まっている都市では、何か自分も起業しなければと思わせるような「都市の声が聞こえる」みたいな使い方。日本なら「都市の声」とは公に対する世論とかの要望のようなイメージで使うので、そこに文化の違いを感じた。この場合日本なら空気を読むと表現する、「読む」である、これはつまりまんま「見る」文化。


なるほど、日本人は「聞かない」故にはっきり「言わない」と考える事も出来る。
欧米はその逆なのだろうか、ちゃんと「聞いて」くれるのか、とかこれも実際に体験してみないと分からない事。


そこでマーティ・フリードマンである。日本で大成功を収めたミュージシャンが一転してそれまでの音楽性と全く違う海外の音楽にハマるなんて事が有りえるだろうか? 元々ワールドミュージクっぽいテクノとかをやってる人とかぐらいしか想像できない。例えるなら元XJAPANの誰かが、台湾のアイドルグループにハマるみたいなw 有り得へんw 彼が特別なのか、しかし少なくとも彼の評論を読む限りマーティ・フリードマンは音楽を「聞く」という事に拘っている(そのセンスはどうあれ)。


そんな事を考えながら、オリンピックである。
ついでに、ちょうど時期を同じくして「家畜人ヤプー」(江川達也作画の漫画版)を読んで、この本は白人に対する日本人のコンプレックスをこれでもかと突き詰めて書かれた本(衝撃を受けた、原作買おうと思う)なので、文化の違いを含め、そういう視点でオリンピックを見てた。
途中で民族とかどうでも良くなってきたw そういう枠みたいなものを超えるぐらいの突き抜けたところに「家畜人ヤプー」という作品はあるというか、そう思わせてくれる。匂いが臭すぎて、匂いに拘る事がバカバカしくなるような感じ。
家畜人ヤプー」には、民族のさらに外というか根本に、ジェンダーとか男女間の差別とかもあって、これにも衝撃を受けた。女性って美女と野獣カップルに嫌悪感を抱いたり、ダメ男と付き合ってる女性の目を覚まさせて更正させようとしたりするよね。あれは何なの?


あと、それまで外人のエロ画像は全く興味無かったんだけど、探してみた。金髪碧眼はそんなに白くない、というか日焼けしてグラデーションっぽい肌になってるのがステータスらしい、なんか英語で金色の肌的な呼ばれ方してたと思うけど忘れた。
むしろ黒髪の白人のが白い、多分日焼けしたら赤くなりそうな感じの白さ。んでさらに白いのが赤毛。ちなみに欧米では赤毛は嫌われている、差別の対象との事。
家畜人ヤプー」にはそのへんの誤解(肌が白ければ白いほど良い)というか、当時の日本人の欧米に対する幻想があると思う。「痴人の愛」を読んだ時も同じ事思った。
同じ頃の時代にアメリカ人が書いた「ライ麦畑でつかまえて」を読んで、それが幻想である事が分かった。白人は全然崇高な人種じゃないって事。
ただしサリンジャーの本だいたい読んだけど、グラース家のどれかで一人暮らしのマンションに冷房があったりとか、50年代ぐらいかな、生活水準の高さにびっくりした。そら戦争負けるわ、と思った。