秒速5センチメートル 第一話桜花抄を見て

僕達の前には、いまだ巨大すぎる人生が
茫漠とした時間が
どうしようもなく横たわっていた
秒速5センチメートル』より

新海誠監督のアニメ映画作品『秒速5センチメートル』の一話を見て、僕の小学生の頃の事を思い出し、同時に、東京に転校していった君の事を思い出しました。
今思い返せば、君はちょっと変わった女の子でした。見た目は少しませてる感じの美少女で、女の子の友達よりも男の子の友達の方が多い明るくて活発な女の子。
アニメが好きで、君が描いたらんま1/2の絵がすごく上手くて、僕はとても感心したのを覚えています。


あの時、僕らが五年生の時、君がもし転校せずに、そのまま当たり前のように時が過ぎていたとしたら……。僕らは同じ中学に進み、そこには一体どんな生活があり得たのだろうか……。もう二度と戻らない、変える事のできない過去を、もしも変える事が叶うとしたら、そんな風に仮定して、僕は今考えたりしています。


もし、以前と同じように、君の家が僕の家の近所にあって、今でもたまに僕と顔を合わせるような事があるとしたら、君は今の僕を見て何て言うだろうか。
きっと、「変わらないね」と言って笑うかもしれない。


僕らが住んでいた公営団地にあった、アレは何て言えばいいんだろう、鉄の扉がついたコンクリート造の四角い建物。貯水タンクか、あるいは配電設備、いやゴミ収集所だったか、そもそもそんな建物自体本当にあったか。とにかく、僕ら団地に住む子供たちの間で、その謎の四角い建物の屋根に登る事が流行っていた。
その建物はけっこうな高さがあり、その屋根に登るという事は僕ら団地に住む子供達にとって、勇気を示すための儀式だった。初めはビビッていた子たちもそのうちに登れるようになり、とうとう高学年の小学生の中では僕だけがその屋根に登れないでいた。


普通女の子はその建物に登ったりはしない、そこは男の世界だから、女の子は違うとこで別の遊びをしてたはずだった。ところが君だけは違った、男の僕らと一緒に遊び、いとも簡単にその屋根に登ってみせた。
そして屋根に登れずただ見ているだけの僕に向かってこう言った、
「早く登っておいでよ、高いから景色が違って見えて、楽しいよ!」
僕は勇気が出せず何も出来なかった。


いつかの、学年末。僕は君からプロフィールや連絡先なんかを書くための可愛らしい用紙を受け取る、サイン帳というやつだ。僕が腕をふるって笑えるジョークを書くと、それは君にとても気に入られたみたいで、君は大笑いする。
一人の男の子がその様子を見ていて、そのジョークを自分にも見せてくれと君に頼む、ところが君は彼にそれを見せるのを断った。男の子はムキになり、強引に君の手からその用紙を奪おうとする、君は絶対に離そうとはしない、ついに君は泣き出してしまった。
僕は勇気が出せず何もできなかった。


君が転校したその年のお正月、君から年賀状が届いた。
その前の年もその前の年も、僕らはお互いに年賀状を書いていた。初めて出会った時から毎年それは続いていた。
ところが僕は、君が東京に行ってしまったその年、君の年賀状に返事を書かなかった。
その次の年の暑中見舞いのハガキにも僕は返事を書かなかった。
君が転校するっていう話を聞いた時も、君の前で僕は無関心を装った。君の前だからこそ僕は無関心を装った。
僕は勇気が出せず何もできなかった。怖くて彼女の気持ちを確かめる事ができなかった。自分が傷つくのを恐れて、そのせいで君を深く傷つけてしまった。
……ごめんなさい。


僕はあの頃と比べていくらかは成長したつもりでいましたが、今の僕を君が見たら、きっと、「変わらないね」と言って笑うと思います。
今でも僕は、勇気が出せず何もできないままです。
だけど、君に笑われないよう、今度こそ勇気を出して、君と同じ高みに登ってそこからの景色を楽しみたいと、そう僕は強く思っています。