ゲームの話

Grand Theft Auto:San Andreas略してGTASAという名前のゲームがある。詳細はウィキで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Grand_Theft_Auto
http://ja.wikipedia.org/wiki/Grand_Theft_Auto:_San_Andreas


PS2日本語版が最近発売という事で、話題になってて見たんだけど、すげー面白そうで、しかもPCでもできるっていうで、今実際やってる。
やばいぐらい面白い、そもそもスーファミからゲーム機を買ってないし、たまに他人のをやらせてもらったりするぐらいだったので、最近のゲームに免疫が無いというのもあるが、無茶苦茶ハマってる。
とりあえず、昨日二度目の3D酔いを煩って、ダウンしてちょっと冷静になったw


冷静になって、ゲームに対する考え方が変わった。面白いゲームとは何か、という問いだけでなく、人生におけるゲームとは何か、という新たな疑問が生まれた。


ゲームをやらない人間がゲームの面白さを語ってもしょうがないので、僕が何故ゲームをやらないか、あるいはゲーム機を買わないかを書きたい。
まず、僕はゲーム大好きである。マンガ喫茶に行ったらマンガ読まずにずっとゲームばっかりやる人間である。友達の家にゲーム機があったらテンション上がるし、友達がやってるのを見るのも自分でやるのも、会話が無くても、ゲームは超楽しいと思う。
よくゲームを卒業する人の中に、ゲームしてる時間が無いとか、お金が無いとか言う人が居るが、それもたしかに僕にとっても当てはまる。
僕にとってゲーム機を買うっていうのは勝ち組の人間、人生を余裕で生きる事のできる人間が持つものという変なイメージがあって、僕はまだまだそこに到達していないと思ってしまう。
だけどパソコンとかは買って持ってるし、別にそない忙しい訳でも、本当に買うお金が無いのか、いや無理すれば買えるわけで、つまりそこまで無理や時間を使うほどの魅力がゲームから得られない、とそういう事なのだろう。


この前バイオハザードの4かな、それを他人がプレイしてるのを一時間ほど見たんだけど、それですでに飽きた感がある。どんなゲームでどれほど面白いのかだいたい分かったから。もう自分でやらなくていいやと思ってしまった。
でも、GTASAは違って、自分でやってみたいと思える。その違いはつまり自由度が高いかどうか、という事なのだと思う。


他人のプレイを見て、僕ならこうするのにと思わせるゲームは良いゲーム、と僕は思う。ただし、それが面白いゲームであるかはまた別である。実際自分でやってみると、自分がやりたい方法では上手くいかない場合が多い、ゲーム製作者側が意図した正解が一つ用意されていて、それ以外の方法でやろうとするととたんに難しくなったり、クリアが不可能だったりする。
バイオハザードしかり、ゼルダの伝説しかり、そして、どうやら世間一般で面白いゲームと評価されている作品は、そういった正解が一つの作品のように思える。
たしかに、やりこみとか裏技とか、あえて正解ではない方法でクリアするという楽しみもあるが、それは製作者側は意図していないものであり、ユーザーが無理やり見つけた面白さであり、難易度が非常に高く、訓練が必要であり、誰でもができる事では無い。
だが、それがゲーム文化の一つになっている。製作者は正解を一つ用意し、ユーザーはそれ以外の方法でクリアしようとする、もちろん製作者側もある程度の「遊び」を想定する、というのが定型化している。
これが僕を非常に萎えさせる訳だ。どれだけ映像が綺麗でリアルな動きをしていても、そのお定まりのゲームシステムを感じた瞬間一気に冷めてしまう。生身の人間であると思っていた主人公が、ただの記号になってしまうのだ。


と言っても、ゲームには色々な種類があり、すべてがそうであるとは言えない。
だがしかし、もう一度書くが、世間一般で面白いと評価されているゲームのほとんどが、正解が一つ用意されてるシステムが定型化された作品である、むしろそれがベタであればあるほど完成度が高いとか評価されている現状である。
僕がゲームに対して魅力を感じない事の根本は、そのように定型化された作品では無く、そこからはみだすような例外的作品が評価され難いという業界全体の雰囲気にあるかもしれない。


そんな感じ。