それなんて哲学?

ちょっと待って、前回書いた内容、あれは何だ、都合の良く書かれた絵空事なんじゃないのか。
前回ギャンブルをやる人間が信じられない、みたいな事を書いた。だけど僕は、ギャンブルをやった事が無いと言えば嘘になるし、それどころかそのギャンブルが楽しいと思った事すらある。前回そこらへんが暗に偽って書かれている、のかもしれない。


そもそも、世界にはこれこれこういう法則がある、というような言説を語る事自体がナンセンスなのかもしれない。それほど世界は広く複雑にできている。
というこの文章、それすらも憶測であり、想像力の欠如であり、ナンセンスなのかもしれない。


毎度同じく、思考がループしてきた。


こういう時は、単純な事実だけに注目するべきだ。
まず、あなた(僕)から見た世界こそがその世界の真実である。
あなた(僕)の価値観が変化すると共に、この世界も変化する。
あなた(僕)の居る世界が内世界だとするなら、あなた(僕)に影響を与えるのは、外世界である。つまり自分以外からの影響によって、あなた(僕)は変わり、あなた(僕)の世界も変わるというスパイラル。


これは僕の世迷言かなあ。
共同幻想とか世間とか社会というものは、上記のような、個々にはバラバラで干渉しないけど、間接的に影響されて出来上がっているシステムのように思える。
これは事実だろうか? もし事実だとするなら、それが事実だとどうやって確かめたら良いのだろう。分からないから直感とか感性に頼るしかない、
「オイ、オレの感性、オレが思ってるように世界はできているのかい!?」
「できーてる!」


つまりこういう事。
今この瞬間に、とても努力して何かを得ようとがんばっている人が居たとする。その人にとって、この世界とは努力すれば報われる世界であり、人生の意味とは努力する事である、少なくとも今この瞬間だけはまさにそうなのである。
さらにその人が、血も涙もない冷徹な悪人で、その事に疑問を感じない性格の人間だったとする。その人にとって、この世界とは努力こそすべてであり、その努力の方向性は関係なく、悪人だろうが善人だろうが全ての人が努力だけやってれば幸せになれる世界である。事実、今この瞬間だけは、彼の世界ではまさにそうなっているのである。


以前僕が書いた他人の人生と自分の人生を比べるのはナンセンス、と書いた理由が分かってもらえただろうか?
人は皆それぞれ別の世界に住んでいるので、他人の幸せも法則もすべて別の世界の話なのだ。
ましてや他人じゃなく、自分の世界だって刻々と変化していく、この世は弱肉強食だと思えば事実そうなのだろう。いや愛だよ、そうだ。違う、曇りなき眼で見定めるのだ、それこそ真実。バカな、自由に生きる事自由を勝ち取る事こそ幸せなのだ。
という、それらすべの世界観が、まさにそう思った瞬間に真実の世界となっているのだ。


さて、結論を書くとするなら……なんだろう。
自分を信じろ!
信じながら他人に影響されろ!
そして疑ってまた信じろ!
悩め!


どうやらこれが、僕の居る世界では真実みたいだ。