曇りなき眼で見定める

その鼻もアゴも鋭角に尖った男は言う、
「この世は、利を得ようとすると、必ず他人との競争になる。それに勝つ為にはその他人を押しのけなきゃならない」


本当にそうだろうか? と僕は思う。


横からと正面からでは全く違った顔に見える男は続ける、
「人間は搾取される側と搾取する側の二種類しか居ない。それに気付かない奴は、一生持たざる者として搾取され続ける。金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏へと」


たしかにそうなるかも知れない、と僕は思う。


後ろ髪を伸ばし、太い眉毛、黒目の小さな、その男は言う、
「だからこそ、俺達は勝たなくてはならない、もう負け続ける人生はうんざりなのだ」と。


そうだ! 僕も彼のように勝たなくては! 勝ちたい! いや勝つのだ! と思った。


しかし思いとどまる、努力が実って勝ったとして、それで僕は何をするのだろうか、勝った後は一体僕は何をすべきなのだろうか。
この世界が作り出した最大のイカサマである、搾取の仕組みを暴いた彼は、さて、巨万の富を得て勝った後何をするのだろうか。左手の指を切断され、耳を切り落とし、それでも尚諦めず、勝つためにがんばってきた彼だが、勝った後一体何をするつもりなのだろうか。


単純な話、彼は勝って「搾取する側」になりたいのだ。というか彼が幸せになるためには、「搾取する側」に回る事が条件なのだ。それができない者は幸せになんかなれない、それが彼の住む世界、彼の見る世界。


途端に彼の世界と僕の世界が別々の世界である事に気付かされる。僕はどう考えても、幸せの条件が「搾取する側」に回る事、だとは思えない。
少なくとも僕の眼から見れば、もっと世界は幸せに満ちているように見える。あるいは幸福が幻想だと指摘されても、その価値は僕の中で変わらないのだ。
では、どこが決定的に違っているのかというと、搾取する側される側という世界の見方は、ギャンブルをする者の眼から見た世界なのだ。ギャンブルをする者にとって、そのような世界の方が都合が良い、つまり搾取したりされたりする世界を彼らギャンブラーは望んでいるのだ。
理由は言わずもがな、ギャンブルの本質が、搾取されたり搾取したり、という事で成立しているから。


ギャンブルをする者にとって、騙し騙され、奪い奪われ、それこそがすべてだ。彼らにとって、春の木漏れ日の下、清々しい風、そんな事に幸せを感じる者は「はあ?」なのだ。そんな幸せは、余裕のある金持ちだけが感じる事ができるものだ、とギャンブラーは本気で思っているだろう。あるいは、ただの良いカモという認識だろう。
ギャンブルをする者にとって、幸せというものがもしあるとするなら、それは勝つ事にこそある、勝つ事こそが真に幸せだと彼らは信じているのだ。
そう、まるで宗教のように信じている。


ここで驚くべき、かつ恐るべき、真実を露呈したい、実に、この世界のほとんどの人がギャンブルをする者であり、同時に彼らは前述通り、勝つ事こそが幸せだと信じている、それも宗教のように信じている、いや宗教と共に、それらはごちゃまぜに影響しあって、ギャンブルと宗教とSEXを信じているw


では、何故僕がギャンブルをしないか、を説明したい。
ゲームの本質は何かという事が根幹にある。つまりギャンブルは何故楽しいのか。お金をかけているから楽しいのである。
「お金=大事な物」であり、大事な物を奪ったり奪われたり、それがもう楽しくて仕方が無いわけ。しかし、僕はそんなの全然楽しくないと感じるのだった。
誰かの物を奪ったり、僕の何かが奪われたり、そんな事の何が楽しいのかさっぱり分からない、それが僕の普通。他の人は知らない。


だから、他の人と僕とでは、住んでる世界が違うのだ。あるいは同じ世界に居るように見えても、全然違う世界として僕の眼には映っているのだ。


そこで、昔2chで見た「目が見えない人でも、夢をみるのか?」というスレを思い出したの探して見つけてきた。
http://cocoa.2ch.net/body/kako/1004/10043/1004374543.html
生まれつき目の全く見えない人が、色々な質問に答えていく、という有名な超良スレ。
これを読むと、全盲の人にとって、「見る」という事は「触る」あるいは「体感する」という事である事が分かるはずだ。もし目が見えるようになったら自分の顔よりも景色を見てみたい、と答えている、何故なら景色は触れないからだ。
一体「見る」って何だろう、と考えて欲しい。
僕らは同じものを見ているようで、実は全く違った形や色、いや脳内のイメージでは全くの別物として理解しているかもしれないのだ。


人間の目はまるでパソコンのモニタのようなもの。絵を描く人なら知ってると思うが、モニタの設定によって色は全然違った風に見える。
例えばmacのデフォルトで見れば、winよりも若干明るく見えるし、フォトショップというソフトの機能で設定された端末と、されてない端末とでは、違った感じの発色に見える。
あるいは人間の目とはブラウザであり、ブラウザによっては文字化けしたり、レイアウトが崩れたりする。


話を戻そう。
あなた達がこの世界をどう見ようとそれは自由だ。だが、僕はどうしてもあなた達とは同じように世界を見れない、ギャンブルも楽しくないし、勝つことにも興味が無い。それよりももっと楽しい事が一杯ある、それは僕だけが分かる楽しい事だ。
だからと言って、一人の世界に逃げている訳じゃない。僕は、僕の世界を守りたい、あるいは作りたいと考えている、その為の努力ならやっていける。
僕は勝つための努力なんてしない、誰かに勝って何かを奪う為の努力なんてクソ食らえだよ。それで、誰かが僕から何かを奪っていくというのなら、どうぞ、と言ってやる。僕が本当に大事な物は彼らにとってはどうでも良いもので、僕が欲しい物は彼らは持っていないのだから。


でも、本当はみんな自分の世界を持っているはずなのだ、だけどそれが見えてない、いつのまにか見えなくなってしまっている。霞がかかって、曇って、濁ってしまった眼球のせいだ。
何故そうなってしまったのだろう……。
結局、彼らは自らの目で見ようとせず、メディアや世間から見聞きする作られた世界に影響され、あるいは反発して、そうしてバイアスがかかったままの世界観を盲目的に信じているのだ。
いや、全盲の人でさえ「触る」事で「見る」事ができるというのに、彼らはそれをしようとしない、手探りで進むのには勇気がいるからだ。
そして大人になれば臆病になっても許される、むしろそれこそ大人の証であると、彼らは本当に信じている。


っていうのも、どうだろう、そう思っている僕の世界観にもバイアスがかかっているのかもしれない。危ない危ない。意外に大人って話せば面白い人多いよねw
自分を信じつつ、疑う。って事だろうか。


と、そういう風に規定する、この僕の考えは他の人には当てはまらない、僕だけの世界の話だというのは、理解してもらいたい。
他の人には、その人だけのオリジナルの世界が見えているはずだから、人それぞれ考えるべき事なのだこれは。
他の人にも共通して言える事は、やっぱり、曇りなき眼で見定める事ができているかどうか、その確認だね、それが大事だと思う。


君はまだ曇りなき眼で世界を見る事ができているだろうか?