オタクイズデッドだってさ

岡田斗司夫プチクリ日記: オタク・イズ・デッド
http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/05/post_78fa.html
オタクの目 - オタキングの涙・・・・
http://d.hatena.ne.jp/ADAKEN/20060525


ほらね。「オタクはすでに滅びた民族」との事で、僕が前に書いたオタク論(http://d.hatena.ne.jp/slappy/20060504)とほぼ同じ事を岡田斗司夫も最近言っとる訳だ。いかに僕のオタク論が良く出来かつ鋭い論旨であったかって事を如実に表わしてるよね。なんつーか時代を読み解く能力がハンパ無いよね僕様は、もっと皆ブクマとかするべきだよホント。すいませんただの偶然これw


いや正直びっくりw 特に共通してるのは、「新しい世代のオタクはもはやオタクという言葉で括る事ができない存在」ってのがまんま一緒だ。しかし、その事実の受け止め方は僕と岡田斗司夫では違ってる。でも、結論は同じで「オタクは滅びる」なんだけど、僕はそれをけっこうポジティブに捉えてる。
多分岡田斗司夫的にはまだオタク滅亡論について最終的に煮詰めるとこまで考えが及んでいないんだと思う、なにしろ当事者だしね、オタクが滅びるとするなら彼自身にもその責任があるだろうし、そういう意味の涙だと思うんだけど。その点、僕は完全に外野に居る傍観者なので客観的に見れる分、すでに一つの結論というか、未来の道筋というか、こういう風にオタクは今後なっていくべきだろうな、というのはすでに僕の中にちゃんとある。


ではオタク滅亡の後に来るのは何か? 萌えだろうか?
君はGEEKという言葉を知ってるか?
オタクの次に来るのはGEEK、これは間違い無い。意味ははてなキーワードで見てもらうとして、nerdという言葉も伏線として書いておこう。
つまり、nerdがクリエイター化したのがGEEK、あるいはハッカーとか。つまりオタクがクリエイター化した時の言葉が今無い訳で、間違いなく今後新しくできるはず。そういう意味でも岡田斗司夫の「プチクリ」という言葉は面白いんだけども、彼はクリエイターが中心に居る文化体系を嫌っている感じがする、あとアートという言葉とか。だからそんな中途ハンパな「プチ」って言葉を使って誰もがクリエイターみたいな事が言いたいんだろうけど、つか「オタクリ」でええやん、「オタククリエイター」の略でええやん。岡田斗司夫はそれを言えないならダメだよ、そらオタクは滅びるっちゅー話だ。


思うに、新しいコミュニティには新しい言葉が生まれる。かつてコミックマーケットなどの同人誌即売会のコミュニティでオタクという言葉が生まれた。だとするなら、インターネットという新しいコミュニティが無限増殖するようなツールが発明された今、新しい言葉はガンガン生まれている訳で、2ch用語とかがまさにそうだ。では、ネットで一体誰がそんな言葉を創って発信してるのかっていうと、これは間違いなくコンテンツを持っている者で、つまりクリエイターなのよね。匿名で超平等に見える2chにしても、ただ閲覧して感想を書いてるネラーよりも、ネタ職人の方が確実に強い、強いというのは影響力が強いって事。
岡田斗司夫もそうだが、日本人の気質として、凡人に優しく天才に冷たいというか、凡人が天才に対して「お前らが天才って言われるのも、俺たち凡人が居てるおかげなんやから感謝せーよ」みたいな考えが根底にあるよね。まあ歪んだ視点かもしれないけど、概念としては日本人的だと理解できると思う。
それが良いか悪いかはさておき、とにかくネットではクリエイターが主導権を握るべきなのだ、というのは、前述したGEEKと呼ばれる人達についてだが、はっきり言って今ネットを制しているのは彼らだ、これは間違いない。彼らのコミュニティで使われる言葉がそのままネット全体の言葉として使われているし。つまり僕らが知らないところでwebプログラマーはクリエイター同士のコミュニティを築いている、集団知という言葉も彼らのコミュニティの概念だ。
その昔日本にはテキストサイトという言葉があったが、今やもうブログという言葉に取って代わられた、テキストサイトを運営していたのはオタクという人達だったが、彼らはコミュニティを作ろうとはしなかった。というかコミュニティの重要性を知らず、「コミュニティ」を「馴れ合い」や「周辺」と呼んでいた。皆平等というスタンスが好きなのか分からないが、オタクに影響力を持った強いコミュニティを作る能力なんて無かったのだ。それがネットでテキストサイトが滅びた理由で、そのままオタクが滅びる理由にもなってる。


ちゅーわけで、オタクの次に来るのは「オタクリ」 クリエイターやその分野のエキスパートとしてのオタククリエイター、略してオタクリ。