オタク論

昨日紹介したサイト↓だが、読んだ。泣いた。すげー。
http://cruel.org/other/animeprogress.html


アメリカのオタクを見直した、マジですげー。彼らの功績は尊敬に値する。
ネット上では間違いなくファンサブと呼ばれる職人達のコミュニティが今も存在して、今では立場が逆転して、日本人の僕が彼らが配信するアニメを見てるなんて状況だ。日本だともはやオタクってただ消費するだけの存在になってしまってるからむしろ羨ましいね。


昨日の補足をちょこと書いておこう。
オタク論って、だいたい「オタクとは」という概念が定まって無いのが問題。オタクを論じる立場によってコロコロ変わる、オタクという言葉が情報操作のために都合良く使われてきた所以だと僕は思ってる。
僕が一番オタクという言葉が嫌だと思うのはまさにそこだ。オタク文化自体は自然発生的に誕生して、それはオタクという言葉が出来る前からオタク文化はあった、おそらく当時はマニアとか呼ばれてたと思う。その文化は商業的な思惑などとは別なとこで、まさに上記サイトのアメリカのアニメファンと同じように成長していった文化だと思う。なのに、その素晴らしい文化に対して、蔑称である「オタク」という不安定で曖昧でメディアが都合の良いように作り変えた言葉で形容されているのだ。これは悲劇としか思えない。


さらに悲劇的なのは、オタクという言葉が蔑称として誕生したというルーツだ。
オタクである事を誇る、っていうのは正直無理な話で、そもそもオタクがオタクを差別するために作られた蔑称が「オタク」なのだから。外からオタクはキモイと言われたからといって、それに対して文句も言えないなんて事になる。
事実ニュースでオタクはさんざん叩かれても、それに対して怒るオタクも居れば、「たしかにオタクはキモイ」と達観してるのか何なのか何も思わないオタクも多い。
「俺はオタクと言われても良い」って事は「俺はキモイと思われても良い」って事だ。ひいては、オタクは身なりや格好に無頓着なコミュニケーション不全な人、などとすべて裏目に出てしまう結果になる。


僕のような自意識過剰な人間にとって、もはやこんなオタクなんて言葉は便利でも何でもなく、鬱陶しくてしょうがないから捨てちまった方が良い。だから僕はオタクをやめる、と書いた訳だ。


中川翔子しかり、オタクっぽく無いオタクってこれからどんどん増えてくると思う。中川翔子オタク文化に対する魂や姿勢は理想的なものだと思う(多少懐古主義的な趣味だが)、だけどそれを形容する言葉が無い。
今更「オタクとは」という概念を誰かが打ち出しても余計錯綜するだけで収拾がつかない状況だ。岡田斗司夫のように「プチクリ」みたいな新しい言葉を作っていくしかない。
プチクリ読んだ事無いけど、「プチクリ=クリエイティブなオタク」で「オタク=消費者のオタク」って事を言いたいのだろうか、だとするなら僕は賛成できる。オタクは需要側と供給側で二極化するって事だろうか。それとも渾然一体となっている感じだろうか。


これって世界共通の問題になってくるんじゃないだろうか。英語でもnerdという言葉があるが、これも蔑称としての意味があるし。消費社会においてどのような立場や信念を持った消費者であるべきか、っていうのは、もはやアニメなどの文化だけに留まっていない、例えばロハスなんてのもそんな言葉の一つだ。
考えてみたんだが、インコグニートっていう言葉はどうだろう、Incognito「お忍びで,匿名で,変名で」という意味だが。ニートっていう言葉も入っててオタクと通じるところもあり、イメージ的には隠れオタクとか名無しとか、転じて、周りに迷惑をかけない趣味に没頭する人という意味で使えないだろうか。ちなみにアニメヘルシングの最後の敵の名前がIncognito。「誰でも無い者」という感じで使われてた。つかニートってこれが語源か? (調べたら違ってた、Not in Employment, Education or Trainingの略との事)


どちらにせよ、日本でそんな言葉が出てくる事は無いだろう。体質的に自らを誇るという事に対して自嘲的なのだ。出てくるとするならアメリカなどだろうし、やっぱり英語になるだろう。OTAKUという言葉が世界的な言葉になる事は無い、いずれ滅びる言葉だと僕は思ってる。