新しい笑い

続きは上記を発端として考えた事を書こう。
テキストサイトという言葉ができてから、今のブログの個人サイト文化まで、一貫して言える事はオモシロ日記とは、それすなわちテレビのギャグパクリ日記の事で、以前からテレビのパクリを日記で行う事は推奨されてきている。
もちろん、テレビ以外の「面白さ」を表現する文章だって、その存在はたくさんある、でもそれを面白いと思うのは少数なのだ。
これは何もネットの文章だけに限られた事では無い、普段の友人などとの会話でもやはり一番求められる面白さはテレビ的な面白さ、になっていると思う。しかし、その規模が小さい分まだネット上よりは現実の方が、独自の面白さを持ったコミュニティが多く存在する、正直ネット上で独自の面白さ(テレビ的な物以外)を追求しているコミュニティなんてほとんど無いと思う。仮にあってもそれがメインストリームであるテレビを打ち負かすほどのカウンターカルチャーとして、多くの人の支持を受ける事はまず無いだろう。


そこで僕が思うのは、オタク文化の事。オタクの面白さはテレビの面白さとは違う性質の物だと僕は思う。でも、昨今のオタク文化はどんどんテレビ的な面白さに侵食されはじめている、その結果今まで理解できなかったオタクの面白さが多くの人に理解されはじめている、例えば電車男なんかもその一つだろう。
僕が懸念するのは、オタク文化は今後テレビ的な面白さに侵食され、その引き換えにオタク文化は多くの人に支持されて、メインカルチャーにのし上がれるかもしれない、でももはやそれは以前のオタク文化の面白さは損なわれた状態なのだ。事実今テレビで見るオタクなんてクソつまらないものに変換されて、オタクの面白さは潰され、ただ見世物のように扱われている。


僕が思うのは、多くの人に「面白さ」を理解させるためにはメディアが必要、という事だ。今一番強大なメディアといえばテレビだが、テレビの面白さに勝つためには、テレビと同じ土俵に立つか、それ以外の媒体で独自の面白さを表現するか、それ以外に勝負のし様が無いのはもはや確実だと思う。
さらに、映像、音声、音楽、文章、画像、という違いもある。ここでもやはり一番強いのはテレビのような映像で表現する方法だ。


ここまで書いて、「テレビ的な面白さ」という言葉が曖昧になってきたので、もう少し詳しく書くなら、テレビ的=バラエティ番組で、面白さ=笑い、という事。さらに絞るなら、「笑い=ボケとツッコミ」
いつのまにやら、日本は全国中がこのボケとツッコミに支配されるような笑いの文化になってしまった。
僕は関西人なのでボケとツッコミは大好きだ、でも同時に僕はオタクなので、オタクの笑いも大好きなのだ。だから今は僕はオタクの笑いの方に肩入れしたいと思ってる。
ではオタクの笑いとはどんなものか。オタクの笑いにボケとツッコミなんて無くて、あるとするならば、萌えと自虐、だろうか。


さて、多くの人に「面白さ」を理解させるためにはテレビのような映像によるメディアが必要、と書いたけども。オタクの笑いである「萌えと自虐」を多くの人が理解する為には、まさにその映像コンテンツが必要になってくる。
そこで僕が紹介したいのは「本田透とアニメ会」による『二次元で行きまっしょい』だ。
http://www.mandarake.co.jp/tv/contents/2zigen/index.html
今のところ、オタクの笑いである「萌えと自虐」を最も表現できている映像コンテンツだと思う。しかし「アニメ会」はお笑い芸人なので、要所にボケとツッコミが見てとれる、それはそれで面白いんだけど、やはりこの番組で一番面白いのはラノベ作家の本田透だ。彼の笑いはまさに「萌えと自虐」でありオタクの面白さである笑いとはこれなんだと、僕は確信を持っている。
この番組は言うならば、「ボケとツッコミ」と「萌えと自虐」の融合、と言ったところだろうか。配信の回にもよるが、やはり「萌えと自虐」の割合が多い方が僕は面白い、3:7で「萌えと自虐」が勝ってるぐらいが最も理想的だと思う。
昔、松本人志が次の新しい笑いは芸人以外の違う文化を持った人の中から生まれるだろう、と言っていた。それに対し僕が思うのは、新しい笑いなんてものはそこら中で発生しているのだ、だがそれを多くの人が理解し共有できる規模まで大きくできるか、という事が問題なのだ。
僕が言いたいのは、新しい笑いに最も近いのはオタクの笑いである「萌えと自虐」で、それが多くの人に受け入れられる為にはテレビのような映像媒体が必要であり、それを今現在実行できてるのが「本田透とアニメ会」だって事。
僕は他のどんなバラエティー番組より、どんなお笑い芸人よりも、「本田透とアニメ会」の番組で大爆笑できるし、毎週この番組が楽しみでしょうがない