もっと僕を傷つければいい

また一つ傷ついて、大人になっていくのだろうか。
それが世間を知る、という事だろうか。


世間を知る、なんて、本当はできない。世間なんて放っておけば良いだけの、形骸でしかない。
本当に知りたいのは、人だ。
人を見ていたい。もっと人を知りたい、と思っている。
だがほとんどの人は「空気を読む」事ばかりに必死で、悲しいぐらいに誰も目の前の人を知ろうとしない。

つくづく、人の集まりこそが世界を作っている、と思わさせられる。
その集団にたった一人減ったり増えたりするだけでも、全く異質の集団になり、全く違う会話がなされ、雰囲気もガラリと変わる。


これはもはや人間の業である。
人間はコミュニケーションから逃れる事ができない。
皆コミュニケーションに怯えている、恐れている。だから体系化され、一般化され、マニュアル化され、形骸化して、そうやって皆人間であろうとしている。
時にそういったシステムは「常識」と呼ばれ、「世間」と呼ばれ、「空気を読む」だとか呼ばれたりする。


そんなものは、本当はどうでも良いくだらないクソである。
なぜなら「常識」を備えるなり「世間」を知るなり「空気を読む」なんて、本当は誰もできない事だからだ。そんなもの放っておけば良いだけの、形骸にすぎない。
僕はそういったものと全面的に戦っていきたい。
という風に書くと、アナーキストっぽいが、そういう事では全然ない。
あれだ、ガンジーの非武装非暴力みたいに、あるいは、外からではなく、内側から、中立的な立場でやっていきたいんだけど、これが非常にしんどいし、複雑で、パワーの出力も弱い。しかし僕は弱い人間なので、そうせざるをえない。
とりあえずの善後策は、自分が傷つく分には良しとしよう、とする事だろうか。
傷つき、その時の怒りをパワーに還元していこうかな。