漫気と漫力(マンパワー)

休みだからつってよく寝た。寝すぎた。
恥ずかしながら、またしても漫画の締め切りが迫って来ている。一体お前は毎回そんな事を書いているが、実際に漫画を雑誌の新人賞に投稿したりしているのか? と疑問に思ってる人も居ると思うが、これがさっぱりであるw。
いや笑いごとでは無い、まっこと恥ずかしながら、僕様はこれまで、かつて、一度とて、漫画を一本すら完成させた事が無いのであーる。だから当然投稿しようにも、そのものズバリ原稿が出来てないのである、もうずっとそういう状態なのである。


それについて、言い訳めいたものでも書こうかと思うが、止めておく。いやどうしようか、とりあえず言い訳するつもりじゃないけど的なスタンスで書いておく。


まず第一に、
――僕のパーソコンの中に年表というタイトルのテキストファイルがあるのだが、その中には99年から現在06年まで、その年ごとに僕に起こった出来事が大まかに書かれている。これは非常に便利なライフハック術なのでおススメである。さておき。
その年表を見るかぎり、僕が漫画家になるために漫画道を歩き始めたのは、03年と書いてある(いや正確にそういう風に書いた訳じゃなく、その年の出来事と照らし合わせて思い出せる仕組み)。当時23歳である、これはあまりにも遅い、正直無謀である。
普通、「漫画家を志すもの、十八にしてペンを持つ」ていう格言があるか無いか、って言ったら無いが、あるかもしれないって思わせるぐらい漫画家を十代で志す者が多いのは事実である。なんでこんなややこしい書き方をしてるかっていうと、これがまさしく言い訳めいた文章だからであるが、そこはあえて触れないでほしい。僕はこういう人間なのである。


23歳まで僕が何をしていたかというと、漠然と生きていたとしか言えない。ただ自分は物語を創る天才だと思っていたので(今も若干そのきらいアリ)、どうにかなるという自信だけはあった。
今、当時の自分を振り返り、Dr林のこころと脳の相談室と照らして考えてみれば、当時の自分が精神的な病を患っていた事は明白である、その事に最近やっと気付いたw
98年から01年の18歳から21歳まで、ピークは20歳だろうか。具体的な病名をここに書くのは控えさせてもらうが、当時もし精神科を受診していれば間違いなく薬物的な処方を受けていたというぐらい典型的なものだったと思う。


そこからである、21歳の10月に僕は実家の店で働き始める。リハビリのようなものである、実際当時も僕はこれはリハビリなんだと思っていた。
その翌年の11月ぐらいにスケボーを始める、精神的に順調な回復を見せている事が分かるね。
そして翌年、03年23歳、ここではた、と気付く、俺は漫画を描かなければならない。ようやくである。
それから三年半が過ぎ、今に至る。


つまり何が言いたいかというと、精神的に病んでいた期間は勘定しないで計算してみてよ、と。もし僕が十八歳の時にまともな精神で漫画家を志していられたら、三年半後というのは、21,22歳である、そういう事。つまり僕は今21歳なのである、いや26歳だけど、21歳という事にしてほしいw するとどうだ、まだ一本も漫画完結させてない、投稿も一回もしていない、なんて事もあり得る話だと、そういう事。


しかし、このはてなを読み返すと、05年から締め切りが迫ってきた、とか書かれてあってウケル。一体何年締め切り延ばしてるねんw 約二年である! この二年黙って何もせず机に向かっていたわけでない、そこを評価してほしいw
漫画には、漫気という目には見えない能力がありまして、例えるならタスク管理能力と言えば良いだろうか、むしろそっちの方が分かりやすいが、あえて漫気という言葉で語らせてもらう。
一般に(僕の中の一般)、漫気には能力値があり、漫力(マンパワー)という単位を使う、基準は「1漫力=月産1P」つまり月に何ページの漫画を描く事ができるか、という能力であり、その総称を漫気という。
正直漫力(マンパワー)を上げるだけなら、いくらでもできる、妥協すればいい。ネームも下書きも省いて、トーンも無し、ストーリはギャグで超シュールとかならアリだろう。しかしそんな事ができるのは一度きりだ。なぜならその作者には漫気が備わってないからだ。
雑誌の新人賞を取る新人漫画家が毎年たくさんいるが、その後その一度きりで消えていく漫画家のなんと多いことか。それら新人漫画家にすべからく足りなかったものこそ漫気なのである。
アレだ、「漫気=功夫」みたいな感じでとらえてもらえると分かりやすいと思うのでそんな感じ。
漫気を鍛えるためにはものすごい時間がかかるのだ。
でも二十歳ぐらいでやたらでかい(すごいの意)漫気を持った漫画家が居たりするけど、そういう奴は子供の頃に進歩的な両親から漫画を描く事を推奨され、かつ裕福で高い漫画道具を買い与えられ、技術書を買い与えられ一緒になって読み聞かせてもらい、特殊な漫画道具の使い方を習得し、という恵まれた英才教育の賜物であり、えてしてそういう漫画家が描く漫画はやたらシャレオツであり、デザインが優れており、尊敬する漫画家は田島昭宇であり寺田克也であり、ストーリーよりもノリ重視であり、そういった漫画家こそ僕の敵であり、お前らみたいなものに負けてたまるかという、その一心だけで僕はここに立っている、いや正確には机に向かっているのだ。
単純に彼らが羨ましくて仕方が無い、僻みによってこれを書いている。


つまり、この約二年の間、僕が何をしていたかというと、漫気を鍛える特訓を黙々と続けていたのである。そしてここ何ヶ月かの間にその成果がやっと漫力(マンパワー)となって実を結ぼうとしている。
要約すると、漫画を描くコツみたいなのが分かってきて、やっと漫画を描くスピードが上がってきたから、これからの俺を見てくれ、と言っている。多分今の僕は15漫力(マンパワー)か20漫力(マンパワー)といったところだと思う、漫画家として連載を持つためには30漫力(マンパワー)はいるので、まだまだである。


さて、ここまで書いて、自分の事を客観的に評価するなら、漫画家になれる訳がない、典型的夢見がちな万年漫画家志望、あるいはせいぜい佳作を一度取ってその後職業アシスタント止まり。だと思われる。
上等である。僕が僕自身について唯一誇れる事は、こんこんと湧き出る源泉のごとく、尽きる事を知らない向上心と情熱である。諦めが死ぬほど悪いのである。
子供の頃の記憶でこんなのがある。ガンダムのカードダスを集めてた時期が小学生ぐらいの時にあって、近所の子供達も皆集めていた。僕はある日一枚のキラキラしたカードを引き当てるのだが、僕が持っているキラキラしたカードはそのカードが最初だったので、とても喜んだ事を覚えている。しかもそのカードは他の誰も持っていなかったのだ。僕はこのカードを一生大事にしようと誓った。
ところが、ある年上の子供が僕のそのカードが欲しいと言う、そういう場合カードの交換という事になる、でも僕はそれを断った。どうしてもそのカードを手放したくなかったからだ。
すると、その年上の子供は破格の条件を提示してくる、その子が持っている数十枚のキラキラカードと僕の一枚とで交換して欲しいというのである。もしその交換が成立すると事実上近所で僕が一番キラキラカードを持っている事になるという、それぐらいの好条件だった。
しかしながら僕は断る。理由は単純、僕がこのカードは手放さないと決めたから、である。絶対に他人には屈しないのである。


さて、そのキラキラカード、今も僕の引き出しの中には大事に保管されて、いればちゃんと辻褄が合っていて一本筋の通った話になるのだが、そんなカードはとっくの昔に無くしてしまっている。
他人には屈しないけども、自分自身には簡単に屈してしまうのである。だから他人に漫画家無理とか言われれば言われるほど、上等だコラとか思ってしまう。これは向上心とか情熱とかいうものとは違うような気もするが、とにかく僕は漫画家になる事を決めているのである。
僕が漫画家になる事は絶対に他人に揺るがす事のできない決定事項であり、もはや漫画家になったも同然であり、むしろすでに漫画家であり、こんな長文をアホみたいに書いてる暇があるなら、今すぐ原稿を描くべきであり、文の始めに戻るが今日寝すぎたので、スケジュール的にかなり厳しくなり、年末は店も忙しいし、これちょっとまた無理かも、いやいや今回は絶対間に合わせる、とか。
多分今年こんな風に文章書けるの今日が最後だし、みんな良いお年を! とか。そんな風に最近思っているんやで。