葦田、鍛錬について語る

社会人は毎朝ちゃんと起きて仕事に行く、彼らは(一部の人を除き)特に鍛錬に励んでる訳でも無く、強い精神力を持っている訳でもなく、当たり前のようにして仕事に行く。タバコも吸うし酒も飲むし恋愛もするしギャンブルもするし趣味も楽しむ、一体どこにそんなパワーがあるんだ? 思うに彼らを突き動かしているのは社会通念という名の衝動だ。
二十代の男性にとってタバコ酒恋愛ギャンブル趣味仕事は今やっとかなきゃいけない事であり、やらない奴は馬鹿であり、やらない奴は人生を損している、お前は人生を損したいのか? オレは損したくない、絶対にだ。という衝動は社会人ならば少なくとも皆持っているんじゃないだろうか。


では社会人からあぶれてしまった、ニートや引きこもり、つまり僕のような人間はどうかと言うと、僕の場合は高校ですでにその衝動の力がなくなってしまった、というかその衝動を疑い始めた、本当にその衝動は正しいのか? と。そしたらこうなった。
今になって思うに、その衝動が果たして正しいか正しくないか、というのはここで書くべきじゃないし、あまり重要では無い。特筆すべきはその衝動が、僕が当時考えていた以上に人間を動かす原動力となり得るパワーを持っているって事だ。


僕がこの衝動を過小評価した原因の一つによくあるQ&Aがある、「あなたは何故仕事をするのですか?」「生きていくため」というものだ、これに惑わされた。つまり社会人のほとんどの人は「生きる(食べる寝る犯る」という肉体的な欲求に従って仕事をしているのだと思っていたが、それだけでは無い、肉体だけでは絶対に人間は仕事をこなせないのだ。それを補完するのが精神であり、じゃあいわゆる一般的な社会人を突き動かしている精神力が何かと考えると、それは社会通念しか無い、となる。


精神サイド=社会通念(人生を損したくない)、肉体サイド=生きる欲求(食べる寝る犯る)、このような精神と肉体を持った人物の事を俗物というのだが、俗物こそ社会人であり、彼らの俗物パワーの威力はもの凄く、彼らこそが社会を動かしている。しかし俗物パワーが強い人ほど儲けている訳ではない、俗物パワー100がMAXとして60ぐらいで十分。


さて、僕が何を書きたいかと言うと、引きこもりやニートが社会人になるためにはどうすれば良いか、という事だ。つまり僕たちが社会に出るためには俗物にならなくてはならない、俗物パワーを得なければならない。というのが、まず考えられる一つ目の手段だ。
しかし、問題は僕を含めたニートや引きこもりに社会通念という精神的な衝動が無いので、ただ生きるという肉体的欲求のみで社会に出る、それがフリーターだ(全てがそうではなく例外もある)。本来精神と肉体のバランスが保てて発揮される俗物パワーだが、肉体のみなので半減する、結果長続きせずまたニートや引きこもりに戻る、そのうち年齢が達してくると、焦りが生じてそれこそが社会通念であり精神力となり得る、結果社会復帰を果たす。
つまり結局僕らの未来には「どうあがいても俗物にしかなりえない」という絶望が待っている訳だが、そのようなルートでは無く、何か社会通念という精神的衝動と代替できる衝動を自分の中に作れば良いのだ!


それこそが自己を高めていこうとする衝動、つまり自己実現なのだが。自己実現というとなんかツマラナイし、僕はその手のモノを読んだ事が一切無いのでよく分からないから、オレ流に書くなら、つまり鍛錬あるのみ! って事なのだ。


何かを成し遂げようという精神力や衝動を得たい、それを自分の中だけで作ろうとする、それは無理な事なのだ。精神をコントロールするのは常に肉体なのだ、言わば、社会通念というのは、現代において肉体が受ける刺激を精神に反映させた、デフォルトの精神だと言える。僕らはデフォルトじゃ嫌なのだ、ハックしたいのだ、つまり肉体改造こそがライフハックなのだ。
鍛錬による肉体改造により、単純な話強まった肉体は強い精神力を生み出す、そして最終的にその強い精神力は肉体をコントロールできるようになり、自分自身の精神と肉体を完全にコントロールできるようになる(最後の段階は僕の中でまだ謎、ここまでくるとかなりスピリチュアルな領域だと思われ、ちなみにこの「コントロールできる」ってのが俗物パワーだと難しい)。
要するに、肉体は精神を制し、精神は肉体を制する、って事、それと鍛錬すればするほど精神と肉体は相互に強まっていく、やらなきゃそれが全く分からないのだ。とか言って、まだ僕もよく分かっていないのだが……、このルートが正しいという確信だけが今分かっている状態だ。


だから僕は、すべての解答が「鍛錬あるのみ!」だと言っている。