絵の思い出

僕は自分が描いた絵を誰かに誉められるという経験があまり無い。最近はそれなりに増えてきてはいるが、小さい頃などは誉められたという思い出がほとんど無い。
まず親に絵を誉められた事が無い、それは兄のほうが僕よりも圧倒的に絵が上手かったからだ。それに母親は漫画のような絵を毛嫌いしていた。父に至っては恐らく本当に一度も絵に関して誉められた事など無い。
僕がまだ保育園に通っていた頃に、兄と一緒に描いた絵を父に見せた時の事、はっきりと兄の絵を誉め、僕の絵を下手だと言われた記憶がある。これは僕の中で最も古い記憶の内の一つだ。


小学校にあがると写生会などで絵を描く事があるが、僕は無茶苦茶作業が遅かった、二時間の内まず何を描くかで一時間悩む、結果間に合わず最後は手抜きされた適当な物が出来あがる。そんなだからその絵が学校の廊下に貼られるとか、賞を貰うなんて事は全く無かった。
もしそこで賞の一つでも貰えば漫画嫌いの母親は誉めてくれたかもしれない。ちょっと記憶が曖昧だが、兄は賞をもらったり廊下に貼り出されたりしていたように思う、兄が低学年ぐらいだったと思う。


実際僕の絵は上手かったのだろうか、少なくとも小学校低学年ぐらいまではクラスで一番ぐらいの絵を描けていたと思う。高学年になるとそうもいかなくなって、自分よりも絵の上手い者が現れる、僕は絵に関して再び学校でも悔しい思いをするようになった。
夏休みの宿題で一枚絵を描く、という課題が出た事がある。テーマは自由に決めて良いというので、僕は漫画を模写する事にした。その絵を学校で皆に見せて、僕より絵の上手い奴に勝ちたかった。
今でもはっきり覚えているのは、その日、僕が丸一日かけて描いた夏休みの宿題、ダイの大冒険という漫画の模写を兄に見せた時の事だ。その絵は丸一日かけて描いただけになかなか良い出来だった、兄はそれが気に入らなかったのか事故だったのか、その絵を机とタンスの隙間に落としてしまう。結局その絵は子供の力では取り出す事が出来なかった。
もちろん僕は怒った、すると兄は「じゃあ代わりに俺が全く同じものを描いてやる」と言って、本当にものの30分ぐらいで描いてしまった。しかもそれが僕が描いたものよりもはるかに上手かった。
僕は不本意ながらもその絵の出来に納得して、それを学校に持っていって提出した。その絵は大絶賛の嵐だった、皆口々に僕を誉めた、僕が勝ちたいと思っていた相手も僕を誉めた。
僕はそんなの全然嬉しくなんてなかった、それよりもこれが、自分が描いた絵じゃないとバレるんじゃないかヒヤヒヤしていた。結局僕が小学生の頃に学校に持っていった絵の中で、それが一番皆から誉められた絵だった。


僕ら兄弟にとって絵とは漫画の事であり、もちろん僕らは自作の漫画をいくつも作った。兄の描く漫画はべらぼうに面白かった、多分今読んでも面白いんじゃないかと思う。僕の描く漫画はそのほとんどが兄のパクリだった。
僕が中学生の頃のある日、授業中僕は四コマ漫画を描いていた、それは隣の席に座っている学年一面白い友人(後に彼は芸人になる)を笑わせるためだ。最初に見せた四コマの内容は、完全に兄が昔描いたキャラのパクリだった、それを見た友人は笑い「俺も描くから、お前ももっと描いて見せてくれ」という事になった。
僕は困惑しながらも、僕にだって面白い物が描けるはずだという予感、というか根拠の無い自信がその頃の僕にはあったので、自分の力がどれ程のものか試す場を与えられた事が嬉しかった。それから二度と兄の漫画をパクる事は無くなったし、僕が描いたオリジナルの四コマはことごとくその友人にウケた。
僕の描く四コマは他の友人達にもウケた、クラスの皆が僕の四コマを誉めた。僕は本当に嬉しかった。僕の存在が認められた気がした。
それから学年一面白い友人の影響もあり、実際に僕は皆がウケるような事を言ったりやったりするようになった。その頃の僕としては別に変わったつもりは無かった、今まで頭の中で考えていた面白いと思う事を、実際に行動に移してみせただけだった。頭の中で考えた事をそのままやっちゃてもいいんだ、という気持ちだった。


高校生になり、僕は美術の授業で油絵を描く事になった。何故かその美術の先生は僕の事をすごい気に入ってくれた。
僕は指導者的立場の大人に対してあまり良い印象が無い、常に路傍の石のような適当な扱いを受けてきたと思っている。でもその美術の先生のようにやたら僕を気に入ってくれる大人が、とても少ないが僕の人生の中で何人か居る。
その先生は若い女の先生で、先生というよりも芸術活動のかたわらの教職っぽかった、製作中だという巨大なキャンパスに描かれた絵の写真を見せてもらった事があるが、いわゆる現代美術で抽象的すぎて僕にはさっぱりだった。
先生は僕の絵をやたら誉めるので、僕は調子に乗ってガンガン描いた、無茶苦茶楽しかった、何より初めて大人しかも絵の専門家に誉められているという事が嬉しかった。僕の描いた絵は初めて学校の美術室の前の廊下に飾られた。母親に報告するには、その当時高校生だった僕にとっては照れがありすぎて無理だった。


そして、今現在。
僕にとって絵を描く事は苦痛でしかない。なぜなら小さい頃に、絵に関して誉められたという良い思い出があまり無いからだ。
いやそれはもしかしたら逃げなのかもしれない、というか事実逃げているだけだ。
絵を描くのが苦痛だからって、それの何が悪い! と開き直ってやる。
上等だ! かかって来い、克服してやる!
僕は絵が描けないんだったら死んでもいいと思ってんだぜ! さあ来いよ! 往生際悪く徹底的にのたうちまわって抵抗してやる! 力ずくでねじ伏せてやる、からよー、見とけボケー!


僕はゆっくりコツコツ絵を描いていく。