前回僕が思う日本のHIPHOPについてちらっと書いたけど、なんか時を同じくしてそういう話題で盛りあがってるサイトがいくつかあって、読んでみてすんげー面白くて色々考えてしまった。思うに多分そういう事は前から言われてたんだろうけども、要約して何が問題になってるか自分の中で分かってきたので以下。

  • 日本語のラップには魅力が無い、なぜなら英語の方が言語学的にラップしやすいから。
  • ラップとは本来HIPHOPという文化の内の一つの要素でなければならない。日本に本当のHIPHOPという文化は存在しない(あるいは少数だが存在して彼等こそ本物)
  • 上の二つを知らないあるいは気にしない人達との温度差。


ていうのが日本のHIPHOPを議論する上での焦点になってると思う。
今回のネット内ブログコミュでの盛りあがりは、主に一つ目の「日本語はラップに向いてない」っていう旨の内容を書いたサイトが発端になっているみたい。


百歩譲って、ラップは英語か英語に似た発音の言語でやるべき、それ以外はクソ、だとしよう。僕が思ったのは、そんなもんが本当のラップだと言うなら、そんな言語に縛られる音楽なんて興味ねえ、捨てちまえっ!て事だ。


とまあ威勢よく書いたはいいけども、これが二つ目の問題であるHIPHOPという文化になってくるとまた違ってくる。例えば今世界中で日本料理が人気みたいだけど、「ワタシ日本ノスシ大好キ」って言う外人がその実「がり」ばっかり食ってて「寿司=がり」の事だと思ってたり、変な食い方してたりする。日本人としては「おいおい! それ寿司ちゃうぞ」と言いたくなるでしょ。別にアボガト巻きを食おうがそれは良いじゃないその土地や人種に合った物を使えばいい、言わばHIPHOPでいうラップの言語がそうであるようにね。でも文化として日本料理はちゃんと伝わっていて欲しいやん、そこはちゃんとした寿司であって欲しいと。そう考えると日本にHIPHOPの文化がちゃんと伝わってるかというと疑問ではある、僕が特に思うのは「HIPHOPギャングスタ」という一辺倒なイメージがおかしいと思うんやけども、僕もそんなに詳しくないので強く言えないとこではあるんやけども。
あと難しいのがHIPHOPという文化の一つの哲学として「自分が自分である事を誇る」みたいな「他人を気にせずあえて違う事を自由に表現する」っていうのがあると思うんだけど、これが文化を継承するって事と相反している。つまり別に自分がこれがHIPHOPだと思えば何やってもええやんていう、日本料理でいうならおいしければそれでええやん、フォークで寿司食ってもええやんっていう事になる。


その問題を解決するために、日本にHIPHOPを輸入してきた人達が定着させたであろう言葉が、「リスペクト」って言葉なんじゃないやろか。HIPHOP文化に対するリスペクトがあれば後はどう自由に解釈して変化させても良い、っていう一つの暗黙の了解が出来た訳、まあ憶測やけど。


でもやっぱり、個人のHIPHOPの定義によって人それぞれになってくる所もある。やはり日本料理に例えてみても、日本料理の文化をリスペクトされてようがいまいが、食い方がおかしい外国人を見ると注意したくなる人も居るだろうし、頑固な寿司職人はアボガド巻きなんて許さないかもしれない。そう考えるとこれは違う文化どこの世界でもある事なのかもしれない、保守派と革新派という違いだからね。「あのラッパーは黒さが無いから本物じゃない」とか言うようなハードコアよりの人は、HIPHOP文化の中では保守派という位置付けができる、つか僕はそう思っている。


そんで三つ目の温度差の話だけど、具体的に言うとHIPHOPとミクスチャーの違いを知らない人の事。これまた外国における日本料理に例えると、中華料理と日本料理の区別が付いていない外人みたいなもの、つかそういう外国人むちゃくちゃ多いらしいよ。これはオレンジレンジとかドラゴンアッシュとかそういうのが嫌いな人にとっては本当注意したくなるんだろうけど、でも実は広い視野で音楽を見るなら瑣末な事のようにも思えたりする。「音を楽しめばいいから音楽」「おいしく食べれて元気になるのが料理」それ以上でも以下でもないよ的考え方で、それはそれで良いと思う。でも日本におけるHIPHOPの場合ミクスチャーが出てくるまでが早過ぎた感はある、早過ぎて「HIPHOP=ミクスチャー」だと思った人がいっぱい出てきてしまったていう問題がある。だから今後しばらくはアイドルが変なラップとかしたら、ハードコア好きの保守派の人とかはがんがんディスっていってもらいたい。日本語でいう「ディスる」って意味はそういう事だと僕は思ってるんだ。


保守派と革新派と書いたけども、じゃあ革新派ってどんな? オレンジレンジみたいなミクスチャー? いや違う、彼等はHIPHOP文化の中には居ない蚊帳の外だ。日本のHIPHOPの革新派とはつまり日本独自のHIPHOPだと思うんだけど、それってどんなだ? ていうのが実は四つ目の日本のHIPHOPを語る上での焦点だったりする。


「どこどこの国の独自の文化」なんてたまに言うけど、文化ってやつは実は本当の意味で独自な文化など無い。すべて他の国から影響しあって複雑に絡み合い継承していって、いつのまにか出来てるのが文化だと思うので。それはHIPHOPという文化でも同じ事で、HIPHOPの要素の一つラップのルーツは黒人音楽や彼等の言葉遊びからと言われてるけど、探してみればその前のルーツとなり得る要素は世界中の文化の中にあったりする。つかそもそも韻詩自体は黒人が考えた物では無いしね。この前テレビ見てたら中国の敦煌遺跡を案内する仕事をしてる中国人が映ってたんだけど、彼はお客にリズムに乗せて敦煌の解説をしてて、これそのまんまでラップやんと思った。もちろん彼はHIPHOPなんて知らないだろうし、そのずっと前からやっていた伝統芸みたいなものだと思う。もしかしたらラップという音楽は中国で始まっていたかもしれないね、事実中国語はラップに向いてるらしいし。→http://kotonoha.main.jp/2005/06/29japanese-rap.html
なんて、僕は黒人によるHIPHOPの誕生を疑ってるわけではなく、逆に言いかえれば、ではなぜラップの素となる要素は世界中にあったはずなのに、誰もそれを音楽に昇華できなかったのか。という事になり、それをする事ができたのはあの当時NYに居た黒人しか居なかった、という結論になる訳。
で、僕が言いたいのは「ラップの素となる要素は世界中にあった」っていう事、だからこそHIPHOPの中でも特にラップは世界中に受け入れられたと思うんだけど、では日本には果たしてそんなラップの素となる要素はあったのか? という疑問から僕の考えを書いていきたい。


ここからは例えを日本料理から僕が得意な日本の漫画文化に変えてみようか(僕は漫画家志望なので)。日本の漫画文化のルーツは漫画を研究してる人なら常識だと思うが、江戸時代の浮世絵が原型だと言われている。でもほとんどの人(漫画をあまり読まないような)はマンガとはコミックであり西洋人が考えたもので日本のマンガはそれを最初パクって発展させた物だと思っている(まるで自動車がそうであったように)。それはそれで正しい所もある(例えばフキダシの形やコマ割りなどは浮世絵には無かっただろう)と思うので、別にいいんだけど、注視すべきはなぜ日本でここまで発展させる事ができたかって事だ。それは浮世絵というベースがあって漫画が存在しつつ、西洋のコミックとの融合という事が出来たからだと僕は思う。その結果今や日本の漫画は世界に通用し認められて、日本独自の文化になった。
これをそのまんまHIPHOPに置きかえれば、HIPHOPを日本で独自に発展させる為あるいは世界に通用させる為には、その文化が入ってくる以前からそれのベースとなる文化を持っていなくてはならない、という事になる。そんな文化日本にあったっけ? いやある! しかも浮世絵と同じ江戸時代に最も流行した、『浄瑠璃』と呼ばれる文化がそれやん! なんて僕はそれを思いついた時興奮しちゃったんだけども、とりあえずwikipediaで『浄瑠璃』の解説を→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83


しかし江戸時代って凄かったらしいとは耳にしてたけども、ほんまにスゲーな。つか現代の日本は戦争終わって60年だけども、江戸時代は200年? だっけ。とにかく「浄瑠璃」だ、特に気になった部分をwikiから引用すると、

  • 浄瑠璃は、三味線を伴奏として太夫が詞章を語り、本来はこれに操り人形が加わる芸能である(ただし人形を加えない流儀も多い)。

まるでHIPHOPの四大要素(ラップ ブレイキン DJ グラフィティ)と似てない? ブレイクダンスとグラフィティを加えない流儀のHIPHOPアーティストの人が居てるのも似てるし! でさらに、

  • 浄瑠璃の口演は「歌う」ではなく「語る」という用語を以てし、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物と呼ぶのが一般的である。(なお浄瑠璃義太夫節のことであるという説明が往々にして見られるが、これは誤りである。浄瑠璃はあくまでも義太夫節の上位分類であって、同一のものではない。)

これをまんまHIPHOPに当てはめると、

  • HIPHOPのラップとは「歌う」ではなく「語る」あるいは「ラップする」という用語を以てし、HIPHOPの音曲をまとめてトラックと呼ぶのが一般的である。(なおHIPHOPはラップのことであるという説明が往々にして見られるが、これは誤りである。HIPHOPはあくまでもラップの上位分類であって、同一のものではない。)

なんて感じにそのまんま言い替えられるわけ。
まあ実際こんだけ似てるんだから、「浄瑠璃 ラップ」でググれば、めっちゃヒットしてみんな気付いてるんやんって事が分かるんだけど、検索結果に2chがあって「似てるけどただ浄瑠璃は純粋に考えて“音楽”ではない」みたいな事書いてあった。「全く同じようにHIPHOPも昔そう言われてたんだよー!」って僕は言いたいね。
あと浄瑠璃が江戸時代にいかにストリートで根付いて支持されていたかっていう証拠として、落語の中に「軒付け」という話がある。→http://www.kakaa.or.jp/~fukasawa/bunsi.htm 
(あと落語には浄瑠璃の話がいくつかある、有名なので「寝床」など)


さて、では日本におけるHIPHOPの革新という事に戻り、じゃあどうやって浄瑠璃HIPHOPを融合させるのかって話だけども、正直全く分からないw ただ一つ思うのはラップに関してなんだけど、日本の文化の中でどうやら「物語る」って事がキーワードなんじゃないかと。浄瑠璃も物語だし落語もお噺(話)を語る、なにかそういう「物語る」事が好きな民族なのか、あるいは向いているのかも。言語学は門外漢なんだけども、日本語は一文の文章を続けようと思えば永遠に続ける事ができると聞いた事がある。それを聞いた時の例はこんなの「将棋大会開催中止発表掲示場所清掃担当者行動規則概要検討委員会人員募集」みたいな事、もちろん漢字じゃなくても出来るしもっと長く物語りとして成立させる事も出来る。これは英語には出来ない事だと思うんだけど、どうだろうか。
つまりラップのリリックの事で、日本のラップは韻を踏みつつも韻に振り回されないようにして、かつ「物語る」て事に重きを置いた方が良い物に成り得るんじゃないかという事。あるいは叙述的なリリックに向いているんじゃないやろか。


まあ上記に書いた事はあくまで僕の憶測なんだけど、僕個人の希望としてはそうであって欲しいと思っている。だからそんな「物語るラップ」をする日本人ラッパーが出てきて欲しいと思ってたんだけど、よく考えたらSHING02ってそんな感じじゃなかったかなあと。というのも僕はあまりSHING02を知らないのであまりしっかりした事言えないんだけど、でも「星の王子様」っていう曲は一度ちゃんと聞いた事があって、まさしくあの曲は完全に「物語るラップ」だった(サン=テグジュペリが書いた星の王子様と内容同じかどうかは僕は読んだ事無いから知らない)そう思うと僕は俄然SHING02に興味が沸いてきたw しかもコアな日本のHIPHOPファンに支持されてるみたいだし、何より浄瑠璃文化の事などおかまいなしに自然発生的に「物語るラップ」をしてるって事が嬉しい。日本の漫画がそうであったように、別に昔の漫画家だって浮世絵を意識してたわけでなく、自然にただ良い物を作ろうとしてたのが、そのまんま浮世絵という文化と似た文化形態を作り出した訳で。つまり何が言いたいかっつーと、浄瑠璃のような「物語るラップ」は日本のHIPHOPの革新に今後なっていくのは間違いないだろこれ! と僕は思ってるんだけど、君はどうだ? あと「物語るラップ」って語感良いと思わん? 韻踏んでるしね。


<関連サイト>
ニーツオルグ(外部の情報 #107、#109、#110、#111、#113、#114)
お腹痛い被害妄想/はい/海外のハーコーな人らの猿真似はくだらないと思うけど


<参考サイト>
音韻的ラップの世界
ラップミュージックの発展について
日本語ラップ起源
(↑このサイトの文章すげーおもしろかった、他のも良いよタモリのとかユウザロックのとか)


追記

義太夫節はてなキーワード見てたらこんな記事が。

野村萬斎が企画・演出するシリーズ企画で、今回のテーマは「日本演劇のアイデンティティ〜ドラマと語りのダイナミズム〜」。文楽の若手大夫・豊竹咲甫大夫と三味線の鶴澤清馗、自らも義太夫節を唸るといういとうせいこうが今回のゲスト。

いとうせいこうについて、こちらのサイト(http://www2.odn.ne.jp/~hak33740/kiji/hiphop_1.html)で日本で最初にラップをやった人達の内の一人が「いとうせいこう」と書いてある。で、もういとうせいこうはラップやってなくて、今は浄瑠璃やってると、これって偶然か? げに恐ろしきはいとうせいこういとうせいこうにとってHIPHOPが先だったのか浄瑠璃が先だったのかとか興味あるとこやね。


↑の引用元であるid:rarayan0520さんからコメントでいとうせいこう情報いただいたので、さらに続きを。

このサイトを見ると、どうやらいとうせいこう真心ブラザーズ桜井秀俊と組んで文楽浄瑠璃と同義?)をやるらしい。ちなみにいとうせいこう義太夫節をやり真心ブラザーズ桜井秀俊が三味線との事。すげーな。真心ブラザーズといえば最近復活したけど、解散?休止?するちょっと前の一時期YO-KINGラップしてたよね、んでその間桜井は浄瑠璃聞いたり三味線練習してたかと思うとなんか、ちょっと複雑すぎて訳わかんなくなってきたw
あと、いとうせいこうは完全にもう浄瑠璃側の人になっちゃってるっぽい。

浄瑠璃にはくめども尽きないヒントが落ちてる。それこそ47個の「金」みたいに埋め込まれている。ポップス界が拾うべき「金(ゴールド)」もそこにはあるはずだ、と俺は思います。  気づいているのは桜井だけだ。行け、桜井! 浄瑠璃メソッドを今に活かせ! 俺は俺で新作浄瑠璃でそれを模倣する。憧れのレーモン・ルーセル(作家)が生きていたら狂喜するだろう例のやり方で。

というか、そもそもいとうせいこうにとってはHIPHOPよりも先に浄瑠璃があった。

古典芸能に興味を引かれていた大学時代、つまり20年以上前に僕は初めて文楽を観た。場所はまさにこの国立劇場ではなかったかと思う。同じ頃、原宿で若者向けの公演があり、チケットが学生値段であったこともあって、迷わず出かけたのも覚えている。 僕にとって文楽は、当時から衝撃的に“クール”な存在であった。

これ見ると、少なくともいとうせいこうが今浄瑠璃にハマってるのは日本語ラップの革新の為では無いね。むしろ逆で浄瑠璃に似てるから日本語ラップをちょっとやってみた、あるいはそんな事全く考えもしていないか、のどちらかだと思われる。


ちなみに桜井秀俊浄瑠璃はブルースに似てる、との事、

それはそれでまた日本語ロックとして面白いんじゃないやろうか、今後の真心の活動が楽しみではある。

(ラップの事は書いてなかったけど、55 NOTE(http://www.froggy.co.jp/seiko/55/55.html)ていうコンテンツがかなりミステリーでおもろい。でも僕の文章なんか比べ様も無いぐらいクソ長いのでゆっくり読んでいきたい)