僕らのIT革命

「インターネットしてる」なんて表現が世間に普通に通用する表現としてある。「インターネットする」といっても本当はインターネットを利用して別の何かをしている訳だが、その中でもwebサイトを見たりする事を「インターネットを見る」なんていう風に言う。そういう表現はよく考えると本来の意味として間違っているかもしれない、まあそんな「日本語間違ってんよワラ」みたいな事は僕は全然思っていなくて、僕よく使う表現だし。でもその表現がすごい曖昧だからなのか何なのか、インターネットについて話す時ちょっと会話がかみ合わなかったり、意思疎通ができてない感じを覚えることがある。なのでちょっとそこらへんを掘り下げつつ、僕なりに解釈した「インターネットを見る」って事を書いてみたい。今回の文章は主にインターネット初心者の人に向けて書いているので、うざくても分かりやすさ重視で書くことにする。いや実際そういう人が僕の周りに多くて、パソコン初心者の人やネット始めたばかりの人がまず最初に読むべき文章というか、そういうテキストってあまり無いし、じゃあ僕の勝手なインターネット観だけど書いてみようかと。あとそういうはてなダイアリっぽい感じの文章を書いてみたいやん、ていうのもある、はてな迎合。


インターネットを見ると言っても、果たして皆一体何を見ているんやろか、決して同じ物は見ていないんじゃないか。例えばYahoo!というサイトを見てる、と言っても、Yahoo!ニュースなのか、Yahoo!オークションを見てるのか、という単純な違い。そういう事だけじゃない、それが全く同じコンテンツであったとしても、見る人の環境や立場などによって全く違う物を見てるっていう事。例えば「Yahoo!ニュースを見る」ひとつとっても、自分のニュースサイトを運営している人と、会社の休憩時間に暇つぶしに見てる人、二人のサイト閲覧時間や頻度は全く同じだとして、二人は果たして同じものを見ていないのかも、全然違う物を見ている事になるんじゃないやろか。そのニュースサイト運営者と会社員の二人がある日Yahoo!ニュースについて話をしました、「あの記事見た? ほら次世代P2Pの」「え、あーあの違法コピーで逮捕されたやつでしょ」「え、違うよ、もっと最近の」「え? 何それそんなのあった?」みたいなね。


そんな事は人間一人一人違うから当たり前の事で、逆に皆が同じような感想を持っていたらそれはそれで怖い。インターネットに限らず他の媒体、本や雑誌やTVでも皆一様に受け取り方は人それぞれで、同じ事が言えると思う。ただそういう他人との相違がインターネットの場合特に多い様に思う。
なんでインターネットは他人との相違が生まれやすいかというと、単純にそれだけ細分化されたメディアだからかもしれない。本来ならメディアに載らないような事でも検索すれば見る事ができるから、同じサイトを見ている事自体が稀である、というのが一つの理由としてあると思う。でもそれだけが理由じゃなくて、先に書いたようなYahoo!ニュースを同じ様に見ていた二人の場合はどうなんだろう、果たして個人の趣味や感性の違いなんて曖昧な基準を理由にするのは何か違うような気がする。例えその二人が同じ様な趣味や感性であったとしても、Yahoo!ニュースに見ている物は違うと思うんだよね。なんでかってやっぱりネットの双方向性って特性を鑑みるに、自分のwebサイトを運営してる人としてない人では例え同じサイトを見てても見ている物が違うって事だ。
これはインターネットが始まってからずっと言われてる事なんだけど、webサイトを見てる人は自らも自分のwebサイトを運営してる、って言われてたんだけど、最近自分のサイトを持って無い人でもインターネットを見てるって人が増えてきた。んでこれからもそういう人はガンガン増えていくと思う。だから今よりもっとインターネットやwebサイトに対する意見の相違ってのは出てくる、例えば自分のブログで毎日日記やコラム風の物を書いてる人と、ただそういうサイトを見てるだけの人が居ました(二人は女の子)
「ねぇね最近どんなサイト見てるの?」「うん、すっごい面白いサイトあってね『さきっちょ&はあちゅう恋の悪あが記』ていうの」「あーあー、そうねまあ面白いよね本にもなったみたいだしね」「そうなのそうなの! あんな感じの面白いサイト他に知らない?」「あーじゃあ、あれは『セミビキニ*1』っていうサイトが最高に面白いよ」「セミビキニね、今度見てみる」 ――それから数日後。「この前紹介したセミビキニってサイト見た?」「え? あー見たよ」「どうだったどうだった?」「うーん、なんか文字が多くてさ、写真とかも無いし、見て無いよ」「あー…そう、うんまあ、そうかしょうがないね」 みたいな事が! 頻繁に起こるよ!


これはあくまでも例え話なのでどっちのサイトの方が面白いとか僕は思って無いんだけど、これと似たような体験を何度も僕は経験してて、その度なんかやるせない気持ちになる。んで、インターネット毎日見てるなどと周りの人に言ってると、本当に良く聞かれるのが「なんか面白いサイト無い?」という質問、そういう時僕はもう「いや無いよ?」と「というか、自分のサイト作った方が面白いよ」と言う事にしてる。で、実際その人が自分のサイト作って更新しだすと、面白いサイトについて意見を言い合えるような、少なくとも以前のように全く意見が合わないような状態にはならない、という経験がある。
つまり自分のwebサイトを持ってる人と持って無い人、両者のインターネットやwebサイトに対する意見の相違を埋める為には、自分のサイトを持って無い人には一回自分でサイトを作ってもらうしかない。


がしかし、だ。そうすっと、皆が皆自分のサイトを持つと一億総webサイト管理者みたいな状態になってそれはそれでつまらない。また自分のサイトが有る無しに関わらず万人に受けるサイトというのもあるし、自分のサイトを持ってなくても持ってる人と同じような視点でインターネットを見る事ができる人も居る(おそらくネットで文章を読むって事に慣れた人、慣れるためには時間がかかる)
個人サイトに限らずインターネット全体で俯瞰して見ると、要するに参加意識をどうやって持ってもらうかという事だろう。今やアクセス数=お金に換算できるような状況なので、いかに「インターネットは見るだけ」の層の人達に参加してもらい、そのコンテンツが形成するコミュニティの一員になってもらい、その結果安定したアクセス数を、みたいな事だ。それはビジネスとしては正しいんだろうけども、個人サイトでも当て嵌めていいのかどうなのか。「インターネットは見るだけ」の層の人にも面白く見てもらう、あるいは万人に受ける個人サイトを作るためにはそういったマーケティング的な打算なんかをして、例えば参加型コンテンツとか作っていくのが正しいのかどうなのか。それとも一億総webサイト管理者みたいな状況が訪れるのか。
ビジネスとかマーケティング云々は別に僕の個人的な事からはどうでもいいので、上記の事はやくたいもない適当な憶測で知らんがな、なんだけども。先に書いたような「インターネットは見るだけ」の層の人達とのwebサイトに対する意見の相違、ていうのが僕の中での問題になってて、もちろんこれは僕だけ感じてる問題じゃなくて、みんな気になってる事だとも思うし、そこをなんとかしたい。


自分のwebサイトを持つ人と持たない人、両者では例え同じサイトを見ていても全く違う風に見ているっていうのはすでに書いたけど、一体何が違うのかっていうのがまず最初の疑問だ。まあ色々考えられる、例えばwebサイトを音楽に言い換えても、バンドとか音楽の演奏経験がある人と無い人では同じ曲でも違う風に聞いてるっていう違い、経験による違いだ。でもそれだけじゃなくて、表現欲求の有る無しとかもある、何か自分も書いて皆に見てもらいたい、その為にはどういうサイトが受けるのかとか思って見てるか見て無いか。あと単純な好奇心とか色々違う事はあってすべてがその観点の相違になってる。ただ、それはインターネットに限らず他の媒体でもある事、がしかし、インターネットだけ顕著に意見の相違やインターネット上のコミュニティの二極化が起こるのはなんでか。
その相違はもっと根源的なとこで違ってるんじゃないやろか、パソコンの前に座ってキーを打つ、その段階で違うんじゃないかと。つまりパソコンをどういう道具として捉えているか、コンピュータに対する概念が違うという事だ。


ここまで書いたの前半部分、まずは大筋での問題提起を書いてみた、かなり分かりやすく書いたつもりだけど逆に長くて読みにくくなってしまったかもしれない。こっから先はかなり感覚的な話になるので、もうちょっと砕けた表現を使った文章で書いていきたい、っていうかこういう風に書くのってしんどいし飽きた、これって最初に書いたはてなっぽい文章になってるのかねぇ、もっとレトリックを意識しつつ言文一致の文章を織り交ぜながら書いたほうが良かったか…(←こういうのがはてなっぽい文章だと思うけど、どうか?)


以下次回へ続く


次回予告
君達がパソコンを買う時に、電化量販店の店員やジャパネットたかた、みたいな奴らから聞いたパソコンのメリットは全部表層的な事でウソッパチだって事さ。本来のコンピュータの概念とはどういう物か、それが分からない君らは暗闇の中高価な箱を抱え込んで、ずっと蹲っているままだ。おいで! 僕が教えてあげる! さあ行こう、あの光射す方へ!

*1:現在プライベートモードで見れませんが、このサイトがもっともこの例に適していてこのサイト以外思いつかないので。ちなみにサイト作者(女性)のオモシロ体験談を書いた文章のみのサイト