一体ソレはどこからやって来るのだろうか

たしかに、興味の先にあるものは、バイタリティとかモチベーションとかやる気とか、その謎の解明と神秘に触れる事なのかもしれない。


誰だって凄い人間になりたい、凄い事を成したい、と願うはずである。やれば良いのである、ただただその目標に向かってやれば良いだけの話だ、しかしそれが出来ない、悔しいぐらいにできない、一体これは何なのだ。


人によって簡単に出来る事もあればなかなか出来ない事もある、というのも謎である。朝定時に起きる事が出来る人はたくさん居るが、絵をまるで写真のようにリアルに描く人は少ない。たしかに絵描きは修練を積んでそのような技を身に付けたのだろうが、朝定時に起きるのだってそれなりに訓練が必要だと言える。高校卒業までの学生生活12年もかけて訓練しているのだから、逆に12年かけても出来ない人が居るという、それほどに高度な技なのかもしれない。
驚くべきは、簡単とされている事が出来ない人ほど、逆に誰も出来ない難しい事が出来てしまう、なんて現象が起こったりもする、まるでお互いの能力を補いあうかのようではないか、一体何の偶然だろうか。


これは向き不向きとかいう言葉だけでは片付けられない、才能でも無い、そういうのは全て言い訳であり諦めの口実であり、全然論理的でない。
12年かけても出来ないなら、そもそも方法が間違っていたのではないかとまず考えるべきだし、それまでの12年のデータの蓄積を分析するなど、やれる事はいっぱいある。それに12年かけてダメでも、もしかしたら13年目にそれが出来るようになるかもしれないじゃないか、しれないじゃないか! 誰が分かるんだよ! 誰も分からねえだろうが! だったら! である。


いつだって意気込みと威勢だけが良い。実働だけが伴っていない、人間とはそういうものである。そしてそれこそがこのテーマにおいて最大の謎である。
だれしもが簡単に諦めている訳でもネガティブ指向なのでもなく、みな自分の理想に反して動けていないという事実に、自戒し自責の念でもって諦めるという選択をしているのだと思う。それこそ夢を口に出すとそれが叶わなくなってしまうメソッド(逆の夢は口に出した方が叶うメソッドもしかり)の真相である。言葉は呪いであるからして、それに縛られてしまうのだろう。
言葉を用いてごまかすのはまるで呪文のようである、例えばマインドマップとかだろうか。僕はまだ試して無いのでよく分からない。


シンプルに考えよう。
理想と実働が合わないのがなにより問題なのだ。理想を下げる、というのも一つの方法だが、問題は堕落していってしまうという事だ。
だが、この理想の設定値というのはすごい重要だと思う。あと、理想とは何か、自分は結局何がやりたいのか、という定義付けも大事。
僕なりに今後試していきたいと思っているのは理想と実働を切り離す、という多少アクロバティックな方法である。


実働とは一体何なのかという方向で考えたとき、実働を支えているモチベーションとかバイタリティとかやる気とかいうものがあって、それは別に理想の有る無しに関係無いのではないか。
じゃあ一体何がそれらを生み出しているかというと、全くの謎である、まあしいて言うなら健康な肉体がそれを生み出している、だろうか。だからこそ鍛錬は重要なのであるが、でもそれだけでは無いような気もする。もし、ガンになって余命一年って言われたらすごいモチベーション上がると思うんだよね、それは健康な肉体がやる気の源泉という証拠と矛盾している。
おそらく精神と肉体のバランスとか、境界とか、まさにそのへんがこの問題の核だと考えている。


やる気の源泉は一体どこにあるのか、その謎は深まるばかりである、それはまるでぽっかりと開いた深い穴である。闇に煙ってその深淵すら見渡す事のできない、深い深い穴である。「なんて深い穴なんだ」人はただそう呟いてその場にへなへなと座りこんでしまう事しかできない、そんな穴である。