人は何故名前に拘るのか、を考えてみた

名前に拘る人って居るじゃない、あれが分からない。


ちなみに、「分からない」って言葉は僕の中で全然否定的な言葉では無い。ある種の賞賛ですらあるぐらい。
例えば、昨年流行った恋空という小説、あの小説を読んで、何故これが面白いと言う人が居るのか分からない、という感想をよく見かけて、気になったので検索したら無料で全文読めるようなので読んでみた。だけど僕は「分からない」とは思わなかった。
正直あの小説を読んで少しも意味が分からないとか、何の面白さもイメージできないとかいう人は居ないと思う。皆本当は分からないんじゃなくて、つまらないと言いたいのにビビってるんだと思う。


このへんの事は前にも書いたような気がするので割愛して。
他の人はどうあれ、僕は「分からない」って言葉を否定的な意味では使わない、と言いたい。僕は誤解を恐れている。別に否定的な意味で「分からない」って言ったわけじゃないのに、相手を怒らせてしまったり傷つけたり、みたいな状況を恐れているし、実際そういう事があるので、かなり声を大にして言いたいんだけど、届かないので文章にしている。けど本当は会う人すべてに毎回言っていきたい、でもそれは大変だから文章にしている、けど本当は声にだして言いたいからラジオとかまたやりたいけど今は無理、だけど(しつこい)


でだ、名前に拘る人って居るじゃない、なんなの? アレ。訳分かんない。
いやいやいやw、お約束として。
で、アレなんなの?


ブログで言うなら、森博嗣とか小飼弾とか、僕が見てる分だと書いてた、また意味深に書いてたりするんだよね、名前は大事だ、いやもしかしたら自分自身よりも自分の名前こそが大事なのかもしれない、――続く。みたいな、○○先生の次回作にご期待下さい、なノリで書いてるので、気になってしかたがない。
そもそも根拠を書こうとしない、なんで名前がそんな大事なのかを、そのヒントさえほのめかそうとしない。
なんなの? アレ。訳分かんない。
たしかに、ドラクエで主人公「あああああああああ」は許せない、というのは分かる。吉田戦車だったか? そんないい加減に付けた名前でドラクエの主人公に感情移入できるか! ○○さん(ドラクエ開発者の名前)に謝れ! みたいな四コマがあった気がする。それは分かる。
愛着が沸くとか、感情移入しやすい、とか言霊としての「名前」説だろうか。それだと少し理解できるが、昔の中国のように本名がばれると呪いをかけられるから、もう一つ偽の名前を持っている、みたいな所までいくと理解できない。
そういえば、ネットでもハンドルネーム論争というのがあって、あれも言霊説に近い意見があったね。


森博嗣は、著作の中でも、前述した「自分の存在よりも、自分の名前のほうが大事」みたいな事を書いてたと思うんだけど、森氏フリークの人は是非確認されたし。
それはなんだろう、記号論的な事か? 結局肉体は滅び、魂も存在しないから、名前だけが残るみたいな。あの人は皆の心の中だけに生き続けるとか? 記録よりも記憶とか? 観測者が居る事で世界が創られるとか。
そうなってくると、また言霊説とは離れていく訳で、それともアプローチの仕方が違うだけで同じ事かも、そんな気もする。


どちらにしろ、「名前は大事」ていうのは本人にとってでは無いよね。
大体自分の名前を声に出して言う事って少ない。これを読んでる人、一度声に出して自分の名前を言ってみ。
それは誰だ?


意味が無い、ただの名前だよ。


ゲシュタルト崩壊のような恐怖を味わっただろうか。
でも、そう考えると、自分を認識する為には他者を認識しなければいけないとか、そういう意味での「名前は大事」説もあるね。
つまり、他者にとって僕の名前は大事である=僕にとっても大事になり得る、というループ。
この説は社会的な意味が強い。
根源的なのは言霊説かなやっぱり、と思う。


いや、ちゃうねん。
あけましておめでとう、今年は云々、という話を書きたい。
今年は、サイトを複数やっていきたい、と思っているんだけど、それぞれ名前を分けてやっていきたいのだが、それってどうなの? という事に端を発している。
どうしようか、まだ迷っているが、全く同じ名前でやる場合は、サイトを分ける意味も無いので、名前をどうするかまず考えてみようと思ったらこうなった。おめでとう。