前半テキストサイト、後半嫉妬心について

なんかここに自分の事を書くのが嫌になってきた。恥ずかしいとかではなく、日記として僕が書く地の文章を書く意味が無く、面白くも無く、意欲も無く。
そうして次第にここの文章は、ゆっくりと小説文体に侵食されていき、僕の存在は無くなり、一人称から三人称へ、葦田という人格が再びこのサイトに現れる事はなくなるのだった(掲示板とかコメント以外では)


葦田は言う、「昔からそういうサイトである事を望んでいた」
――六年前。
彼は自分のサイトで毎週一回小説を書いていた。
――「侍魂」大ブレイクの年、テキストサイト全盛の頃。
彼はテキストサイトや日記を憎んでいた。
彼は言う、「個人サイトに作者のパーソナリティなんて必要無い」
日記やテキストが作品だとするなら、その作品に対する評価が作者のパーソナリティによって下されるなんて許せなかった。
――しかし彼のその考えは間違っていた。
そもそも彼らテキストサイトの管理人達に作品を作っているという意識は毛ほども無かったのだ。あるいは「作品」という物に対する根本的な考え方が違っていたのかも。いや、ただのごっこ遊びだった、馴れ合い、コミュニケーション、それこそが今も昔も個人サイトそのもの。
彼はそんな憎むべきテキストサイトの象徴である日記を、自らも書き始める。およそ一年間、日記とは何かを自問し続けるような内容だった。
そして彼は最後の日にこう記す、「インターネットに創作の土壌は無かった、あるのは『評論(ツッコミ)』と『馴れ合い(コミュニケーション)』だけだ」それから彼はネット上に日記という形式の文章を書く事を止めた。


――そして現在。
彼の憎んでいたテキストサイトは台頭してきたブログに事実上敗北した。少なくとももはや全盛期の勢い、というかネットに漂う雰囲気、匂いみたいなものは完全に無くなっていた。
気づけば彼は見限ったはずの日記を再び書いている。
何故あの頃の僕はあれほどまでにテキストサイトを嫌悪していたのか、今なら分かる、無くなってしまったからこそ分かる。


「単純な話、羨ましかったんでしょ?」ソファの背もたれにアゴを乗せたままの彼女は僕にそう問うた。
「まあ、そだね」僕は答える。「でもあの頃のネット上の文章は面白かったと思うよ、色んな文章表現の可能性を皆が模索してた時代」
「へえ、カンブリア紀みたいな感じね」
アノマロカリス?」
「そうそう」彼女は笑いながら尻を揺らす、ソファの上でスカートがひらひらと揺れる。「でもテキストサイトは絶滅しちゃったの?」
「いや、今もテキストサイトは生きている。テキストサイトの頃の系譜であるサイトやブログもたくさんある。でも今は細分化されて棲み分けがきっちりされてる感じかな」
「それって、どうなの?」
「僕は今の方が好きだな」
「何故?」
「なんだろ、前は面白いサイトを見ると、羨ましいとか嫉妬とかがあったんだけど、最近のサイトにはあまりそういう感情は沸かない、これはどっちの変化? 僕? ネット?」
「あなたってそのへん嫉妬深いわよね」彼女はそう言ってビシと僕の鼻先に向かって指をさす。
「ん……」
「恋愛に対しては全然嫉妬しないくせに、私に対してとか」
「え……」
「私に対してとか!」
「う……」
「私に対してとかっ!」彼女はぐいっと身を乗り出して僕に顔を近づけて言った。
「わ、わかったから」苦笑いしながら慌てて彼女を抑える僕。


――彼は想像する。
恋愛感情による嫉妬とはどんなものだろうか……。
今の自分にはおよそ想像できないが、自分の彼女が他の男と仲良くしてたら、どのような気持ちになるか。
彼は特に何も思わないだろう。だって、それは彼にとっていつも当たり前の事。そして、そう思う事が彼を不安にさせる。
――自分は彼女の事を本当は好きじゃないのではないか、と。
いっそ嫉妬に狂って彼女を束縛したい、というような独占欲に苛まれたい。その方がきっと、彼女に対する愛の深さを知り得もしよう。


すべての出来事を見ていた誰かが、結論を急いでこう訊ねる、
「えっと、つまり、恋愛してる人って嫉妬心を本当に醜いとは思ってないんじゃないかな? 嫉妬=愛の深さ、という風に皆考えがちになるから嫉妬に加速がかかって、さらに嫉妬を肯定して、嫉妬心を燃え上がらせる、それでOK?」