つよきすプレイ中につき鍛錬あるのみ!

つよきすというのはゲームの名前。エロい方とエロくない方があって、僕は最近それのエロい方をやっている。
別にこのゲームのレビューをするつもりは無く、ちょっとしたメモを書いておきたい。
このゲームの劇中に強気な女の子のヒロインがたくさん出てくる、精神も肉体も強い女の子達。何故彼女たちはそんなに強いのか、――女性とはかくも強い生き物なのか……、そうでは無く、努力して得た強さなのだ。
作中彼女たちに共通する強さの秘訣として「鍛錬」という言葉が何度か出てくる、トレーニングや努力、気合、訓練、修練、では無く「鍛錬」という言葉のイメージが気に入った。そういえば同じく18禁ゲームである「fate/stay night」というゲームでは、主人公は鍛錬では無く何と言っていただろうか? 日課と言っていたかな。


鍛錬という言葉のイメージは、まさに丹田(下っ腹)に力を入れている姿が想像できる。
あ、いや、そのイメージはあまり重要じゃなかったw メモすべきは、僕がやるべき事って鍛錬しか無いんじゃないかって事。例えば客観的に、今の僕が「これこれこういう理由で悩んでます」と相談にやってきたら僕はきっとこう答えるだろう「鍛錬あるのみ!」
僕のすべての悩みの解決策が「鍛錬あるのみ!」で済むのでは無いだろうか。


このゲームの劇中、乙女さんという少女があらわれる。彼女は人一倍努力家であり、鍛錬の虫であり、強靭な精神と肉体を持った女性だ。そんな彼女だから他人にも厳しい、しかし甘えている者を見下す事はせず、一緒に頑張ろうと言ってくれる、そう彼女はこんなダメな僕に対して「一緒にがんばって鍛錬しよう」と言ってくれる、「働き者の良い手」じゃと言ってくれる。それが僕はとても嬉しい。
さらに僕(正確には劇中の主人公)が自主的に鍛錬をやろうとすると、ちゃんと乙女さんはそれに気づいてくれて、「えらいぞ」と褒めてくれる、「面倒臭いと思う気持ちに勝って自発的に鍛錬する事は中々できる事じゃないからな」と言って褒めてくれる。僕はそこでハッっとなる、あの乙女さんも鍛錬を面倒臭いと思う時があるのだ、と。


劇中、姫と呼ばれる少女と仲良くなる。彼女は完璧超人だ、一体彼女はどのようにしてその完璧を手に入れたのか。僕(正確には劇中の主人公)は彼女と近い関係になってその秘訣を知る事になる、やはりそれも「鍛錬あるのみ!」という答えだ。劇中に出てくる文章を読む限り、彼女は毎日のスケジュールをきちんと決めているようだ。鍛錬の時間は主に就寝前かつお風呂前、毎日こなすべき鍛錬のノルマがあるようだ。
僕も姫と同じようにスケジュールを組んでノルマを決める事にした、まさに今日の昼そういう事を考えていた、そしてさっそくできていない。


僕は乙女さんのような男になりたい、乙女さんは女性だけど、彼女のような強い人間に僕もなりたい。姫のような完璧超人に僕もなりたい。僕もツンデレになりたい。いや、僕はツンデレだ、考えてみれば僕の恋愛スタンスは常にツンデレなのだ。いや恋愛した事無いけど、逆説としてその事実こそがツンデレでは無いかと。
これは非モテにとって新しい考え方だ。自分がモテ無い理由として、異性に対して積極的になれない事が理由だと思ってる人多いと思う。そういう人は女性にとってはツンなのだ、「女性に対して消極的=ツン」なのだ。女性に積極的な方が何か迷惑をかけてるんじゃないかと思いがちだが、女性にとってはむしろ「消極的=相手にされず無視されている」という事になってキツイんじゃないだろうか。相手の男が別に自分の好きな相手じゃなくても、そういう風に思っているじゃないだろうか。
いや知らんがなw


とにかく僕はツンデレの恋愛スタンスをとっているようだ。この先、ツンデレを止めるという選択もある、もっと女性に積極的にアタックしていくという方法だ。問題は、ここ十年ぐらい僕は人に恋愛感情を持てないでいる、十年ぐらい人を好きになった事が無い。好きでもないのに積極的になって良いものか、それは僕の魂が許さないだろう。
ではどうすれば良いか、このままツンデレのスタンスを続けていくしかない、いずれ僕の中にある枯渇しかけの恋愛感情の源泉が噴出するのをただひたすら待つしかない、のか? と思っていた、でももう僕は待つだけじゃない、もっと大事なやるべき事に気づいた、本当に強い彼女達が教えてくれた事、そうだ「鍛錬あるのみ!」


非モテで女性に積極的になれないツンデレ男は鍛錬あるのみ!
何をすれば鍛錬になるかっていうと、そもそも鍛錬って自己実現だよね。自己実現って言葉はなんか内に向いているイメージなんだけど、鍛錬は外に向いている感じ、つまり動機だ。鍛錬という言葉のイメージに含まれている動機とは、自分以外の人の為、他が為、未来に備える為、備えよ常に、と僕は思っている。その動機のイメージこそ僕が一番気に入っている所でもある。映画タクシードライバーの主人公になったような感じだ。あれこそまさに鍛錬だと思う。
いや、肉体を鍛えるだけが鍛錬じゃなかった。その点タクシードライバーの主人公は鍛錬をしていなかったとも言える。だからー、鍛錬って自己実現の事だよ。


このつよきすというゲームの劇中でも、主人公はヒロイン達の強さへの尊敬という感情がきっかけで恋愛の感情へと高まっている。「尊敬と恋愛感情は似ている」なんて事を良く耳にするが、本当なんだと思う。その原理が分かっていても、僕のようなツンデレは「別に尊敬なんてされなくてもいーよ」とマジで思っている。しかし鍛錬という言葉のイメージにはそのような打算も打ち消してくれる効果がある。別にモテたいわけじゃなく、自分を鍛える為に鍛錬してるだけだよ、というイメージが打算を打ち消してくれる。と書く事もこの文章を読んでる女の子にモテたい為の打算なのではあるが、それも「鍛錬あるのみ!」という言葉が打ち消してくれるw


鍛錬についての文を書いている僕だが、では僕は実際に日々の生活の中で鍛錬を実行しているのか? 一体どのような事をしてそれを鍛錬と呼んでいるのだ? それについて僕も書きたいのはやまやまだが、鍛錬とはつまり公に記録すべきじゃない、はてなグラフとかつけるべきじゃないのかもれしない、いや分からない、別にそれはどっちでもいいw。とにかく鍛錬はひっそりやるから鍛錬であり、それが鍛錬という言葉のイメージだよ。鍛錬萌え。おわり。