家族の風景

家族と僕を繋ぎとめているものは何だろうかと思う。


今日あらためて、自分の家族の食事風景を見て、自分が家族を作る機会に恵まれるなら、絶対にこのような食事風景にはすまいと思った。
と言っても決して不幸な風景では無い、団欒の食事風景なのである。ただ僕の目から見てイビツだというだけで、僕以外の家族にとってはそれが正しい家族の形であり、つまりこのままで良いのだ。僕の方が間違っている。


僕はこの家族では異端なのだ。


もう充分僕はこの家族で上手くやってきた、色んな事を勉強させてもらった、良い待遇や協力や理解もあった、きっと与えてもらった分を返しきれて無いだろうけど、だけどもう、うんざりだ。
自分が異端で家族に馴染めない事よりも、時が過ぎて、僕もいつかこの家族と同じに染まってしまうかと考えると、それが何よりも恐ろしい。


本当はこんな事二十歳前後で気付くべきだったのだろうけど、その当時僕は自分の事で精一杯で家族の事など考えていなかった。
今こそ僕は、家族というものと真っ向から対峙しなくてはいけない。
そこをあやふやにしてしまうと、きっと自らの家族を作る段階になって、何らかの障害を生む事になる。


僕は冷血漢だろうか? 親不孝者だろうか?
家族について考えると、必ずそこで躊躇してしまう。
一体お前は何が不満なのだ、お前以外の家族は皆満足しているのに、お前だけが、となってしまう。
家を出て行った母親の事を思い出す。
「私はこの人と結婚するべきでは無かった」
とは母の台詞だが、当時の僕はそんな身もフタも無い事を息子である僕(すでに成人してたけどね)に言うなよと思ったが、たしかに二人は結婚するべきでは無かった。
かといって母が作る家族に入りたいかと問われれば絶対に嫌である。事実上、子供時代は祖父の元を離れ母が作った家族で僕は生活していたと言えるが、その子供時代も酷かった、二度と戻りたく無い。しかし、それも僕以外の他の兄弟にとっては居心地の良い、楽しかった家族の思い出なのかもしれない。


ここに至って、僕は一生、誰とも、家族として馴染めないんじゃないか? という疑念が僕の心を支配しつつある事に気付く。
たとえ結婚できたとしても、やはり僕はきっとないがしろにされてしまうんじゃないだろうか。まだ見ぬ、存在すらしていない家族にいじめられる様を想像して、思わず僕は呻く。


僕が悪いのだろうか。
僕が偏屈者だから不満に思ってしまうのだろうか。
その不満が家族に伝わり、だから僕に辛くあたってくるのだろうか。


なんて思い悩む必要など無く、家を飛び出せば良い。
こんな事高校生の頃に思いついておくべき事なんだが、何しろ自分の事で精一杯で。
あと、しっかり答えを出してからじゃないと、行動に移せないという厄介な性格も災いしてるのかなと。


ここに答えを書くならば、畢竟、家族とは依存である。
その依存の仕方が好ましいかどうか、自分にとって、相手にとって、家族にとって、公約数的な依存の仕方かどうか、そこを目指せば良いと思う。
そこからあぶれてしまうなら、依存せず、自立すれば良いのだ。
それは逃げでも、家族を捨てる事でも無い、言わば家族という壁を乗り越えていく。


父を越えろ。
母を超えろ。